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2014-10-16 00:00
(連載2)国内の議論に「ガイアツ」は要らない
緒方林太郎
前衆議院議員
そんなものに頼って、国内の議論を動かそうとすること自体が、日本の国家としての脆弱性のような気がするのです。同じ流れで、私は集団的自衛権の問題について、例えばオバマ大統領の介入を求めるようなレターを国会議員が出すことにも批判的です。日本は世界に冠たる国家であり、国内の議論に外国の助太刀は要らない、そう強く信じています。
ちょっと話が逸れますが、かつて、現職時代、「個人通報制度」というものについて一文書きました。簡単に言うと、人権侵害等が国内制度で十分に救済されないとする時、個人が人権関係の条約機関に通報し、審議、勧告を求めることが出来るという制度です。日本はこの制度を採用していませんが、「すべき」という議論があります。これは制度としてはとてもよく理解できるのですが、議論を聞いていると、日本における裁判の結果に不満のある人が「ガイアツを掛けよう」というふうに聞こえることが多々ありました。もっと言えば、この制度が採用された時、私は一番に通報される案件は(普通の訴訟案件ではなくて)いわゆる「歴史認識問題」系のものだと想像しています。
国内の問題は、国内で解決する、当たり前の事だと私は思っているので、そこにタダではない「ガイアツ」を持ち込もうという事自体が変だと思いますし、もっと言うと、中長期的には日本にとってマイナスに働くと思うのです。しかも、この手の「ガイアツ」論者には、えもいわれぬ「欧米信仰」があるような気がします。「欧米の人が言えば権威が高い」→「国内議論への影響も大きい」という考えが背景にあるのだとしたら、不健全以外の何者でもありません。よく目を凝らしてみていると、日本には意外に多いのです、この欧米信仰。
「ガイアツ」に頼る発想が見え隠れすると、途端に、元々のピュアな思いがいかがわしく見えてしまうのです。「憲法9条」をめぐる考え方以前の問題として、この発想は止めた方がいいでしょう。(おわり)
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