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2006-12-16 00:00
連載投稿(1)ミャンマー民主化の現状と課題
田島 高志
東洋英和女学院大学大学院客員教授
ミャンマーは長年の親日国であり、第2次大戦末期にはミャンマー人は敗走する日本兵を英国軍から匿ってくれたり、そっと食料をくれたりした。国民の大多数は敬虔な仏教徒であり、その性格は日本人が既に失ったしとやかさと遠慮深さを今でも持っている。その軍隊はエリート集団であり、真面目であり、強い愛国心を持っている。
ミャンマーの人口5000万の7割はビルマ族であるが、残りは130以上の少数民族である。1948年に独立した後のミャンマーの歴史は、多くの少数民族のそれぞれが独立を要求して起した内戦の歴史でもあった。1988年、閉鎖社会主義政策による経済の疲弊から反政府運動が起り、クーデターによる軍事政権が成立して、1990年総選挙が行なわれた。しかし、情勢が優勢であった民主同盟のアウンサン・スーチー女史ら指導者は、選挙直前の記者会見で、勝利後は国軍をニュールンベルグ式裁判にかける旨述べてしまった。軍側は自負心を汚された怒りと身の危険を感じ、政権を直ぐには渡さない決意を固め、先ず新たな憲法を策定し、それに基づきあらためて選挙を行なう道を選んだ。
1992年に成立したタン・シュエ政権は、市場経済を導入すると同時に、国民会議を開き、新憲法案作成に関する討議を始めた。最大の難題は、先ず中央政府と少数民族との休戦であり、それはようやく1995年頃ほぼ実現した。次いで少数民族との自治権の交渉、各少数民族の境界画定、異なる少数民族間の利害の衝突の調整など難問山積であった。(つづく)
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