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2014-08-02 00:00
『戦後IMF史:創世と変容』の一読を推奨する
池尾 愛子
早稲田大学教授
1935年に国際連盟を脱退してから以降、1952年に国際通貨基金(IMF)と世界銀行(IBRD)に加盟するまでの間、日本と国際機関の関係は希薄であった。親機関の国連に1956年に加盟する前にも、日本は傘下の国際経済機関には加盟することができ、また1949年には1ドルを360円に設定することにより、固定相場制を基礎とするブレトンウッズ体制に事実上組み入れられたのである。この期間にも国際機関に関係した経済専門職たちや実務家出身者たちが数多くの調査・政策形成に携わっており、公刊されたものもあれば、政策決定プロセスの記録として国際機関のアーカイブに保管されることになったものもある。
関係が希薄な期間には、国際機関が公刊した研究レポートですら、日本で入手された冊子やコピーの数は少ないようで、この期間の政策研究については、意識的に探さなければ、研究者にとってすら空白の期間になってしまいかねないところであった。こうした「ほぼ空白」を埋めてくれる研究が、このほど日本の国際金融の専門家たちの共同研究の成果としてまとめられた。伊藤正直・浅井良夫編『戦後IMF史:創世と変容』である。本書の公刊に直接関わったのは、編者2人のほか9人の精鋭である。彼らは海外の公的機関のアーカイブで一次資料を精査することを基本にして議論を闘わせながら、IMFが公式に発表している歴史や資料だけでは確証できない国際金融史を描き出したのである。
IMF創設のプロセスにおいて、イギリスの「ケインズ案」とアメリカの「ホワイト案」が提出され、イギリス側の研究プロセスはケインズ研究を通してある程度知られている。歴史上初めてとなる固定相場制の樹立を理念として、経済専門職たちが国際通貨制度の構築に立ち向かったことが確認される。しかしながら、事態は理念通りには進まず、現実的対応がとられていくことも確認される。IMFと各国(フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、日本)との関係も歴史として描き出された。西欧通貨の交換性回復に時間がかかり、カナダ・ドルも独自に変動相場制から固定相場制への歴史をたどったのであった。国際流動性の問題が照射されて丹念に論じられ、資本規制・資本勘定の自由化が制度変化として着目され、国際金融理論や関連思想にも周到に目配りされた。
本書を読み通すには、ウェブで紹介されている程度のIMFの歴史は参照する必要がある。IMF設立以前には国際金融は民間の銀行や金融家によって伝統的に担われてきたのであり、IMF設立後も国際的な支払・決済のネットワークは民間金融ビジネスによって支えられている。そして同じような民間金融ビジネスの主体が、間接投資を支えている。いわゆるビッグデータが登場するのは金融情報からだろうか。本書では金融産業が大きく変貌し始める頃までの歴史がカバーされているようにみえる。「グローバル化は技術革新によってもたらされており、IMFなど国際機関はグローバル化に伴うリスクを減少させることができる」、「グローバル化を止めようとすることには危険が伴い、リスクを増加させることにつながる」というIMFの主張は理解される。それでも、「国際貿易・投資を円滑に進められるように制度調整しようとするのは、グローバル化の促進につながっている」と応じる若者たちも少なくない。今後の国際金融アーキテクチャを構想するうえでも役立つ一冊になるかもしれない。
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