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2014-06-22 00:00
(連載3)ワールドカップから見えてきたコートジボアールの光と影
緒方 林太郎
前衆議院議員
一番メモリアルだったのは、2006年に初めてコートジボアールがワールドカップ出場を決めた海外での試合のことです。当時、政府軍(バボ大統領)とその親衛隊、反乱軍(北部)、国内に展開するフランス軍やPKOとの関係が常に混乱していて、和平への動きが自陣に都合が悪くなると、政府軍と親衛隊が騒ぎ始めて常に散発的にアビジャン市内で戦闘が起こっていました。そんな中、勝利を決めたチームメンバーがフランスのテレビ局カメラの前で膝まづいて、本国でテレビ観戦している同朋に向けて、「今日(出場を決めた日)、すべての国民が共存し、同じ目的に向かってプレイできる事を皆さんにお示しした。膝まづいて皆さんにお願いしたい。これだけの財産や豊かさを持つ国がこんな戦争に落ち込んでいってはいけない。武器を置いて、選挙をやろう。すべては上手く行く。」と語ったのは有名な話です。その中心に居たのはドログバ。最近、TVでも取り上げられましたのでご覧になった方もいるかと思います。ドログバが周囲に「お前達も膝まづけ」と言いながら、皆で訴えている姿は感動的でした。これもきっかけの一つになって、いわゆる2003年から続いた第1次コートジボアール内戦は終息に向かいます。
ドログバは、ペプシとのコマーシャル契約のお金を国内の教育・保健事業に注いだり、チェルシーに在籍時、ロンドンでチャリティー・ディナーを催して国内の病院建設のために収益金を当てようとしたり、とても立派だと思います。将来、政治の世界に入ってくるのではないかなと思ったりもしますが、彼は「国全体の運命が一サッカー選手に掛かっているなんてあり得ないよ。」と言っているそうです。格好良いではありませんか。
なお、最終的には、2010年以降のいわゆる第二次コートジボアール内戦を経て、バボ大統領は放逐され、ウワタラ大統領が誕生しました。1995年大統領選挙で、イヴォワリテを原因に出馬を阻まれてからですから15年の月日が過ぎました。IMFのナンバー2までやったテクノクラートであり、国内のドロドロも経験した苦労人です。1990-93の首相時代、財政再建を行い、国内では批判されましたが諸外国の評価が高かったです。ドログバが言っていたように、資源、農業、工業どれをとっても西アフリカの中では本来先頭ランナーでなくてはならない国です。
国の不幸は、第二代(ベディエ)、第三代(ゲイ)、第四代(バボ)と大統領職を務めた人間が悪かったことにあると思います。特にイヴォワリテなどという概念を作りだし、南北対立を政争の中で煽ったベディエの罪は重いです。なお、バボ大統領は、第二次内戦時に「人道に対する罪を犯した」ということで、国際刑事裁判所に送致され、最近、同裁判所で裁かれることが発表されました。これはこれで、アフリカ全体に波紋を呼んでいます。(おわり)
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