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2014-06-21 00:00
(連載2)ワールドカップから見えてきたコートジボアールの光と影
緒方 林太郎
前衆議院議員
ウワタラは1993年に首相職を退任した後、古巣のIMFに副専務理事で戻ります。元々が国際金融のエキスパートでして、相当に能力が高いことを伺わせます。逆にこれは「ワシントン在住」ということになります。しかも、ウワタラは巷間父親がブルキナ・ファソ出身と言われていました。つまり、上記の選挙法はベディエが政敵ウワタラを大統領選挙から排除するためのものとされていました。
これ自体が、北に位置するブルキナ・ファソや、それ以外にもマリ、お隣のガーナといった国出身の移民を差別することに繋がっていきます。特にブルキナ・ファソとの関係は相当に悪化します。イヴォワリテ政策は、結果として北部イスラム地域の差別、移民差別、南北格差といった方向に進んでしまい、全然上手く行きませんでした。丁度このくらいの頃に私はセネガルに居たので、コートジボアールがどんどんおかしくなっていくのを比較的近い所で観察していました。そこで1999年にクーデターが起きます。端的に言って、「ベディエはダメだ」と軍がダメ出しをしたということです。その後の経緯はとても長いのですが、私の眼には「いつも南北で内戦をやっていた。」というふうに見えています。その過程で、(1999年クーデター当事者の)ゲイ第3代大統領、2000年にゲイを放逐して第4代大統領に当選したバボ大統領と、無能な大統領が続いたことはコートジボアールにとってとても不幸な事でした。
ここからは、少し今回のワールドカップとの絡みで書いていきます。エースであるドログバはベテ族という民族出身ですが、彼は幼少時にフランスに行っていますから、少し国内のゴタゴタからは距離が取れる立場です。また、ドログバは現在、フランスとの二重国籍です。フランス代表として出ようとすれば出られた人物ですが、あえてコートジボアール代表を選んだ所も、国民の尊敬を集めている理由の一つです。(なお、ドログバというのは英語表記読みでして、実際にはドロバが一番近いです。バボ第4代大統領も表記はGbagboです。)
その他に例えば、トゥーレは北部ブアケ出身、ボカは南部出身、バリーは両親がギニア人です。ちなみにジェルヴィーニョは、名前がボルトガル語のように聞こえるので(ボルトガル語圏の)ギニアビサオ出身かなと思いましたが、それは違いました。彼の本名はジェルヴェ・ヤオ・クアシといい、それにポルトガル・テイストを入れただけのようです。このように見ますと、あのチーム自体が、国全体から選手が集まっていて、しかも、在外ディアスポラのドログバも加わっているということもあり、国全体の融和みたいなものを体現しているといって間違いではありません。「出身が何処であろうが、誰もが応援できるチーム」ということです。(つづく)
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