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2014-05-09 00:00
(連載2)李克強首相のアフリカ訪問から中国-アフリカ関係を考える
六辻 彰二
横浜市立大学講師
中国によるアフリカ進出に批判されるべき点が多いことは、否定できません。また、例えば2012年8月にはザンビアで操業する中国企業で、法定賃金以下の給料しか支払われなかったことから、アフリカ人労働者が暴動を起こし、中国人マネージャーが殺害される事件が発生するなど、現地でも中国への批判・反発が生まれていることもまた確かです。ただし、中国をあたかも名探偵コナンの「黒の組織」のような「悪役」と捉え、罵詈雑言を浴びせることは、全く生産的でないばかりか、事実を捉えそこなうことにもなりかねません。ポイントは、大きく2つあります。第1に、先進国が行っていることにも、中国と大差ない部分があることです。アフリカからの輸入品の80パーセント以上が天然資源であることは、中国だけでなく、米国や多くのヨーロッパ諸国も同様です。また、(さすがに国立公園内での操業というのは行き過ぎでしょうが)天然資源の開発で周辺の環境が破壊され、現地の住民と企業とのトラブルが発生するといった事案は、中国企業に限った話ではありません。マラウィでは2007年、オーストラリア政府やオーストラリア企業パラディン・エナジーと密接に結びついていたムタリカ大統領のもとで、パラディンは法令で定められた環境アセスメントを行わなず、放射能汚染の影響を懸念する住民にはほぼ全く説明がなされないまま、ウラン採掘を開始しました。このような事案はアフリカでは珍しくなく、CSR(企業の社会的責任)という言葉が欧米諸国で流行語のように使われる背景には、裏を返せば、それだけ利益追求の過程で社会的に負のインパクトを与えてきていることがあります。すなわち、中国のやり方があまりに露骨であるにせよ、先進国が一点の曇りもないわけでは決してなく、それは現地アフリカで広く知られているといえます。
ここから第2のポイントは、先進国の政策決定者や一部の人々が期待するほどには、アフリカにおける中国の評判は必ずしも悪くないということです。確かに、先述のように、中国人経営者や中国商店に対する暴動や襲撃は広く伝えられています。しかし、米国のシンクタンク、ピュー・リサーチ・センターが2013年7月に発表したインタビュー調査の結果によると、米国と中国に好感をもつ割合は、世界平均でそれぞれ63パーセント、50パーセントでしたが、アフリカ平均はそれぞれ77パーセント、72パーセントで、ほとんど差がありませんでした(ちなみに同調査によると、日本における結果はそれぞれ69パーセント、5パーセント)。すなわち、実際に中国企業で雇用されて、その待遇の悪さに不満を募らせたり、中国企業の進出で職を失うなど、直接的な不利益を受けた人々の反中的な行動が注目を集めがちなのですが、この調査結果はアフリカで中国が総じて好意的に受け入れられていることを示しています。植民地時代は言うに及ばず、独立後も欧米諸国からの圧倒的な影響下に置かれてきたアフリカでは、欧米諸国へのあこがれがある一方で、これに対する反感も根深くあります。したがって、中国の台頭は「欧米に対するカウンターバランス」という意味合いがあり、中国に好感を持つ人も少なくないのです。実際、中国産の安価な工業製品の流入は、アフリカの貧弱な製造業、なかでも繊維産業に壊滅的な打撃を与えましたが、他方で80パーセント前後が貧困層であるアフリカの人々にとって、入手可能な工業製品が増えた面があることも確かです(もっとも、アフリカでも「中国製品は安いがすぐダメになる」という評判は広がっていますが)。念のために繰り返せば、中国によるアフリカ進出に問題が多いことは確かです。しかし、それは中国の問題を言い立てる側が清廉潔白であることを意味しないばかりか、現地の人々の受け止め方を度外視したものにもなりやすくなります。
ケレンのない、あからさまな「悪役」はフィクションの世界では必要です。しかし、現実の世界において、完全なヒーローもヒールも存在しにくいことは、言うまでもありません。ただし、相手を「悪魔化」することで、ひるがえって自らを正当化することは、人間の歴史において珍しくありません。17世紀、遅れて植民地獲得に乗り出した英国は、先行するスペインを追撃するなかで、中南米で強制的に採掘した金銀を運ぶスペイン商船を、大規模に襲撃しました。国家的事業として海賊が奨励され、その頭目であったフランシス・ドレイクは、英国人的観点からみれば「英雄」と位置付けられました。とはいえ、いくらなんでも海賊行為であったことは間違いなく、これを正当化するために、英国はスペインを「悪魔化」したのです。つまり、「残酷で貪欲な」スペイン人のもとで中南米の先住民族は虐げられており、「博愛精神にあふれた」英国人によって、彼らは解放されるというストーリーが、英国のなかだけでなく、中南米で広く語られるようになったのです【本橋哲也(2005)『ポストコロニアリズム』岩波書店】。これは現地における英国への好意を獲得するとともに、英国内部で対スペイン闘争を正当化する手段でもありましたが、後世から見た時、植民地勢力同士の宣伝戦だったことは確かでしょう。現代に目を転じた時、17世紀の英国とスペインの間と同様の関係を、アフリカをめぐる欧米と中国の関係に見出すことができます。いずれも「いかに他方がアフリカにとって好ましくない存在か」をアフリカで言い立て、ひいては自らに対する好意を獲得しようとする宣伝戦に余念がありません。その背景に、資源価格が高騰し、また国際情勢が変動するなか、資源が豊富でなおかつ国数の多いアフリカ各国政府を味方につけることに、政治的、経済的利益があることは、言うまでもありません。
翻って、日本もやはり、この泥仕合と無縁ではありません。今年1月、安倍首相はエチオピアなどアフリカ3カ国を歴訪し、そのなかで「日本の援助はアフリカのためであり、資源確保を目的とする中国と違う」旨を強調しました(ただし、2013年の第五回東京アフリカ開発会議で日本政府はアフリカとのWin-Winを強調するに至っており、その意味で中国のスタンスとの類似性が、これまで以上にはっきりしてきています)。これに対して、中国政府はさっそく安倍首相の「軍国主義」を批判し、アフリカ諸国に警告しました。外交である以上、ブラフも形式的発言もあります。しかし、既に述べたように、中国が圧倒的な経済的影響力をもつに至っているなか、中国とコトを構える姿勢をアフリカで明示しても、多くのアフリカ諸国からは微温的な反応を受けるにとどまるでしょう。そこに関わることに、アフリカ諸国からみたメリットは何ひとつありません。また、それを言うことで、日本企業の進出が容易になるとも考えられません。逆に、冷戦期の米ソとアフリカ諸国がまさにそうであったように、複数個所ある資金の出所がお互いに角を突き合わせる状況は、むしろ資金の受け手にとって、それを逆手に取りやすい状況にもなります。つまり、アフリカを舞台に中国と宣伝戦をやったところで、日本にとって実りは乏しいと言わざるを得ません。のみならず、質の悪いセールスマンほど他社のことを悪しざまに言うように、相手を「悪魔化」して初めて正当化できるような正当性は、本物とはいえません。それを踏まえずに、他所の土地で特定の勢力を「悪魔化」し、それで現地の好意を得ようとすることは、現地の人々を(それで言いくるめられる)「無知な者」と決めつける非礼な行為であり、アフリカ側から総じて好意をもって受け止められるとは考えにくいのです。その意味で、泥仕合に参加することによってではなく、むしろ泥仕合を沈静化させてこそ、日本に対する敬意も生まれるといえるでしょう。(おわり)
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