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2014-03-08 00:00
(連載1)ウクライナ危機の前時代性と国際秩序の揺らぎ
六辻 彰二
横浜市立大学講師
3月1日、ロシア上院はプーチン大統領が示した、ウクライナ領クリミア自治共和国への軍の派遣の方針を承認し、これを受けてロシア軍がクリミア一帯で展開し始めました。2日の段階で、ロシア軍はクリミアを完全に掌握したとみられています。今回のウクライナ危機は、冷戦終結後のヨーロッパにおいて最大の危機であると同時に、冷戦後の国際秩序そのものの大きな転換点になる可能性をもつといえます。ことの発端は昨年12月、EUと旧ソ連圏6ヵ国との、EU加盟を見据えた「東方パートナーシップ首脳会合」でした。この際、ロシアは禁輸措置や金融支援など、アメとムチを織り交ぜたアプローチで、ウクライナ政府にEU加盟を断念させようとしました。その結果、ウクライナのヤヌコーヴィチ大統領は最終的にEU加盟を事実上放棄し、ロシアとの友好関係を選択。これに対して、EU加盟の道を放棄したことに抗議する親欧米派の市民が各地で抗議デモを展開。警官隊との衝突の末、デモ隊が政府庁舎などを占拠するなどして無政府状態に陥った結果、ヤヌコーヴィチ大統領は国外に亡命。時をほぼ同じくして、ヤヌコーヴィチ氏の政敵で、汚職の嫌疑で収監されていたティモシェンコ前首相が釈放されました。大統領代行に就任したトゥルチノフ国会議長は、一連の混乱でウクライナ経済が壊滅状態と発表し、EU、米国、IMFが金融支援の用意を進めています。
ところが、もともとロシア系の住民が圧倒的に多いクリミアでは2月27日、逆にロシア派の武装組織が議会を占拠して、ロシア国旗を掲げました。ウクライナが分断され、極度に混乱するなか、「クリミアに暮らすロシア系人の安全を保護する権利」を掲げてロシア軍が動き始めたのです。3月3日、安保理でロシアの国連大使はヤヌコーヴィチ前大統領やクリミア自治共和国から派兵要請があったとも述べています。とはいえ、既に国外に逃れた前大統領からの要請に、どれだけの法的根拠があるかは疑問です。
今回のロシア軍の行動に対してヨーロッパでは、1968年にチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」にソ連軍が介入し、これを潰したことを引き合いにする向きもあります。しかし、冷戦後に限ったとしても、旧ソ連圏でロシアが軍事行動を起こすのは、今回が初めてではありません。2008年8月には、グルジアの南オセチアで、オセット人たちが分離独立を求めてグルジア軍との衝突に至ったとき、その要請を受けてロシア軍はグルジアに攻撃しています。しかし、この際のグルジアは(ロシアの影響下に置かれることに対する反動として)親欧米的だったにせよ、欧米諸国自身はロシアとの仲介などで関与したにとどまりました。それと比較して、今回の危機ははるかに大きなインパクトをもちます。もともと、旧ソ連圏の東欧、カフカス地域は冷戦終結後、西欧とロシアの勢力争いの場となってきました。ポーランドやチェコといった、かつてソ連の衛星国に位置づけられていた諸国が1990年代に相次いでEUとNATOに加盟していくことで、「東西の境界線」は徐々に東、つまりロシア側にずれていきました。その結果、ウクライナはポーランドやルーマニアなど「西側」とロシアの境界に位置付けられたのです。また、ウクライナは旧ソ連圏でロシアに次ぐ規模の経済力と人口をもちます。いわば、ロシアからみてウクライナは絶対に譲れない「最終防衛圏」なのです。
その結果、他の旧ソ連圏にも増して、ウクライナでは親欧米派と親ロシア派の対立が激しく、これまでにも東西対立の最前線になってきました。2004年大統領選挙で与党代表だったヤヌコーヴィチ氏の勝利が発表されると、これに不正選挙の疑惑があるとして、主に西部地域で親欧米派市民の大規模な抗議デモが発生。抗議デモに押される形で再選挙が実施され、親欧米派のユーシチェンコ氏が当選しました(オレンジ革命)。この際、ヤヌコーヴィチ氏を支援していたのがロシアで、ユーシチェンコ氏は欧米諸国から支援を受けていました。この経緯からも、グルジアの際のような微温的な反応でなく、欧米諸国が正面からロシアと対立することになっているのです。(つづく)
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