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2014-02-01 00:00
(連載1)日韓、日中関係悪化の背景-日本の対露対応を考える
袴田 茂樹
日本国際フォーラム「対露政策を考える会」座長
最近、日本の韓国問題専門家と韓国の国際政治専門家から、日韓関係、日中関係悪化の原因に関して、全く同じ見解を聞いた。日本の韓国問題専門家のO氏は、日韓関係が大きく悪化したきっかけの事件として、2012年8月10日の李明博大統領の竹島上陸を挙げた。そして、もしその前の月の7月3日にロシアのメドベジェフ首相が国後島を訪問した後、日本の玄葉外相が抗議の意思表明として、7月28日に予定されていた日露外相会談を中止あるいは延期していたら、李明博の竹島上陸はあり得なかったと述べた。北方領土と竹島は共に相手国が管理しており同様の状況にあるからだ。さらに、もし日本がメドベジェフの北方領土訪問にしっかりした対応をしていたなら、尖閣問題も2012年9月のような形(後述)では先鋭化していなかったはずだし、その後の日中関係も大きく変わっていたのではないか、と述べた。国家主権の問題に対する日本側の姿勢が真剣勝負と見えなかったので、それがその後の日韓、日中間の主権問題や諸関係をこじらせた、との見解である。
その少し前に、韓国の国際政治専門家と非公式の話し合いをする機会があった。その韓国の専門家も、李明博はメドベジェフの北方領土訪問に対する日本側の反応を注視していたので、もし日本が抗議の意思表明を単なる言葉ではなく行動で明確に示していたなら、李明博の竹島訪問はあり得なかったと断言した。そうしたなら、その後の日韓関係だけでなく、日中関係も大きく変わっていただろう、という点では、日韓の専門家たちの見解も同じであった。私も後述のように、メドベジェフが国後を訪問した当時、外相会談の中止をマスメディアで求めていただけに、もしあの時、日本が主権問題により真剣な対応をしていたなら、との思いが強く、今でもきわめて残念に思っている。
当時の状況を理解するために、2012年7月から9月に至る日露、日韓、日中関係を簡単に振り返ってみよう。2012年7月3日にメドベジェフ首相は突然、悪天候をおして、択捉訪問予定を変えてまでも国後訪問を強行した。ロシア側は公式的には、通常の国内視察であり、特別な政治的意味はないと説明した。しかし現地で首相は北方領土について「これは古来のロシアの土地だ。一寸たりとも渡さない」と、日本を意識した露骨な政治発言をした。また、日本人の神経を逆なでするのを承知で、「私はまた訪問するし、諸閣僚も続く」と、挑戦的な言葉を述べた。そして、「日本人の酒はさぞ不味くなっているだろう」と侮辱的な言葉さえも述べた。その半月前に、野田首相とプーチン大統領がメキシコで「領土交渉を再活性化することで合意した」と報じられていただけに、日本政府はもちろんマスコミや専門家たちも、この事態にどう対応すべきか大いに当惑した。
このようなロシア首相の行動に対して、野党だった自民党は7月末に予定されていた外相会談の中止を求めた。しかし当時の民主党政権は、ロシア側は外相だけでなくプーチン大統領もソチで玄葉外相に会うというので、秋田犬のプレゼントまで携えて外相会談に臨んだ。李明博大統領が竹島に上陸したのは、その10日余り後の8月10日であった。もちろん、日本政府の対露反応を見て、日本は主権問題に真剣勝負で臨んでいないし、竹島を訪問しても日本側の反応は大したことはないと読んだからだ。(つづく)
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