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2006-11-09 00:00
建設的ではない核論議
伊奈久喜
新聞記者
自民党の中川昭一政調会長の核論議発言を批判した日経社説(06年10月17日付)に、グローバル・フォーラムの姉妹団体である日本国際フォーラムの政策掲示板「百花斉放」欄で、批判的な意見が表明されている。事実関係の間違いがあれば訂正するのは当然だが、そうでない限り、新聞社にとって社説を含めた記事は最終商品であり、裁判官が判決文の解説をしないのと同様に、内容をめぐる事後説明や批判に対する反論などはしないのが基本的態度である。したがってこれから述べるのは、一記者の個人的なコメントであり、社の見解ではない。社の許可を得ての意見表明でもない。定期寄稿を依頼されている本欄からの要請で、あくまで個人的に書いたものである。最初に述べておくが、私の自身の立場は、社説と同意見である。その立場から批判に反論する。
第一に、社説が日本の核武装を「軍事的にも合理的でない」との結論がほぼ出ていると書いた点に対し、そんな結論がどこで出たのかとの批判が、中川氏らからあったようだ。日本政府が非核三原則を表明し、核不拡散条約を批准して30年以上になるが、その間核武装論を提起したひとはいたが、それは政治の世界でも、学者の世界でも、ジャーナリズムでも、多数意見を得るには至っていない。今回も、社説に対する批判は「議論することがなぜいけないのか」が中心であり、そこから一歩先に進んだ核武装論は少なくとも権威ある人々からは出てこない。ほぼ結論が出ているからではないか。議論を提起する中川氏も「私は核武装論者ではない」と語る。麻生外相も「なぜ核兵器をもたないか議論しよう」とも述べており、立場を変えたように見える。麻生氏のその議論なら、そもそも問題にならかったろう。
第二に、第二撃能力を日本が持ちにくい点を社説は指摘する。第二撃能力のない核抑止は、北朝鮮のそれと同じく「弱者の恫喝」に過ぎないと私は考える。北朝鮮を批判できなくなる。それに対し、英国の核はそれではないかとの反論が一部であった。しかし米国が認める英国の核は、日本が非核3原則を2原則にし、持ち込みを認めるのと安全保障上の意味はほとんど同じだろう。それは米国が核の傘を提供すると言明している現状とも変わりはない。英国が米国との核戦争を考えているとの想定に立てば話は別であり、同じように日本が対米核戦争を想定していると考えるのであれば話は別である。核論議論者が日米同盟否定論者であれば、話はすっきりするが、日米同盟と日本核武装は、伊藤憲一氏が認めるように、両立しがたいのが現実である。議論をすることが核抑止になるとの意見もあり、現に今回、中川発言が米国や中国に影響を与えたと見る論者もいる。短期的にはそうかもしれない。しかし第二撃能力が持ちにくい現状が変わらなければ、それはすぐに通じなくなる。狼少年になるだけである。
第三に、議論の封印はおかしいとの批判があった。中川発言を批判するのが議論の封殺とされるとすれば、中川発言を批判することはだれもできないのだろうか。それもまた議論の封殺ではないのか。議論することは認めるべきだとの発言には確かに何人も反対できない。確かに議論はすればいい。しかし「すべき議論としなくてもいい議論がある」と述べるのもまた言論の自由に守られるべき議論である。核論議をするのがいいと考える言論人たちは、議論のための議論をいいとは考えてはいないだろう。であれば、日本が世界から孤立せず、日本の安全を本当に高める核武装論があれば、それを提起してほしい。核論議はいま始まった話ではない。前述したように、NPT批准から数えて30年、いまだそうした議論を聞かない。したがってほほ結論が出ていると考えるのである。北朝鮮の挑発に乗った弱者の恫喝のまねはやめた方がいい。
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