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2013-11-09 00:00
改正労働契約法について思うこと
池尾 愛子
早稲田大学教授
学生の頃、ふと思い立って、履修していない授業に出席してみたことがある。他の授業ではどんなことが話されているのだろうか、と好奇心が湧いたからであった。出てみた授業ではちょうど制度設計の問題が語られていた。担当教授は黒板に2点で交わる2つの円を書かれて、「一つの円はある制度が狙いとする対象を示し、もう一つの円はその制度が実際に作用する対象を示します」と説明された。「たとえ国会で選ばれた議員たちが真剣に議論をして制度を作っても、その制度が狙い通りに作用することはなかなか難しいものです。制度が狙いとする範囲と、実際に作用する範囲が重なっていればよい方だと思うべきかもしれません。」学生だった私は、頭の中を殴られたようなショックを受けたことを思い出す。
教授は平然と続けられた。「制度が狙いとする範囲と、実際に作用する範囲が重なっていないことがあるかもしれません。それよりも、制度が設計の狙いとは逆の方向に作用することもあります。つまり、事態を改善しようとして作った制度が、事態を悪化させることもあるのです。制度を作った人たちは真面目に良心的に狙いを定めたつもりであったとしても、そうした予期せぬ悪い効果が現れることがあるのです。」
教授は具体的事例を挙げられなかった。その時には、この教授が何かトンデモナイことを言っているように感じられ、頭がクラクラしたような記憶が残っている。しかしながら後に、人々へのインセンティブ(誘因)を無視して制度を設計しても狙い通りに制度が働かなかったり、逆の方向にすら作用するような「制度設計の失敗」と呼びうる事態があることに気付くようになった。経済学では、制度の作用や人間行動について、思考実験もすれば、事例を観察したり実験をしたりすることもある。
昨年、知り合いから、改正労働契約法にたいする対処について説明を受けたとき、頭がクラクラする感覚が久しぶりに蘇ってきた。1年の有期契約を繰り返して5年を超えると、雇用者の申し出により無期契約に自動的に転換することになるので、有期契約は5年までの繰り返しを上限としなくてはならない、という理解であった。後で、これは改正労働契約法の狙いとは逆の方向であることも分かってきた。制度が狙いとする範囲と、実際に作用する範囲が重なっていないだけではなく、狙いとは逆方向に制度が作用しつつある事例が他にも伝わってきている。経済学の教科書に出てくるかどうかはわからない。しかし「制度設計の失敗」の話は、制度設計や経済政策、経済史の研究書には出てくると思う。
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