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2013-10-31 00:00
「世界との対話:『価値観外交』の可能性」に参加して
池尾 愛子
早稲田大学教授
10月30日に「世界との対話:『価値観外交』の可能性」が日本国際フォーラム、米国ワシントン・カレッジ国際研究所、グローバル・フォーラムとの共催で都内で開催された。マレーシアからの参加者は私的事情により参加がかなわなかったが、報告要旨は提出されていた。アメリカ、オーストラリア、イギリス・オランダ、中国、日本からのパネル参加により、「世界との対話」が実現した。セッションⅠ「『価値観外交』の今日的意義」、セッションⅡ「各国における『価値観外交』-普遍性と独自性」に分かれていたものの、プログラムに名前のある参加者の間で、当日午前中を含めてかなりの議論が行われていたようで、両セッションのトピックが入り混じって対話が進行した。
もとより英語と日本語で翻訳が困難な領域である。英語-日本語の同時通訳が入る中、中国からは英語の達者な研究者が参加された。将来を嘱望される研究者たちが自由な研究に基づく発表を繰り広げるなか、中国人民大学の時殷弘(SHI Yinhong)米国研究所所長も、セッションⅡで一時的に中座されることはあっても、極めて慎重な言い回しで自発的に発言もされたので、この日の対話の意義は極めて大きかったと思われる。最後まで参加される努力を惜しまれなかった時所長の国際的責任感と忍耐力に心から敬意を表したい。
普遍的価値がいつ頃から一般の議論のテーマになったのか、私にはよくわからない。ひょっとしたら、1993年の欧州連合(EU)設立の頃あたりから、専門家を越えた世界で議論されるようになったのかもしれない。確かに、デモクラシー(民主主義)はEUの理念を超える普遍的価値に入るのではないか、と思われたかもしれない。しかし、今回の「世界との対話」に出席して、中国からの参加者が中国的価値がある、と力強く主張されたので、そうした見解は尊重されるべきではないかと思う。中国からの参加者は中国的価値とは何かについては、具体的には説明されなかった。となれば、フロア参加者として、それは「共産党独裁政権の継続」なのかと推測することになる。しかし、胡錦濤前主席が改革開放30周年の講話(2008年12月18日)において、「中国共産党の政権党としての地位は永遠でも不変でもない」とされ、2009年の四中全会で「決定」されたようなので、違うかもしれない。確認が必要である。
オランダ・ライデン大学のL.ブラック地域研究所講師(イギリス出身)はパネルとして、日本が西洋と東洋の「かけ橋」(bridge)としての役割を果たしてきた側面にスポットをあてられた。そして氏は議論が進むなか、もしデモクラシーが普遍価値に入らないと主張されたとしても、普遍的価値として「啓蒙(Enlightenment)」が残るのではないかという主旨の発言をされたように思う。しかしながら、「啓蒙」は西洋思想を研究する上では極めて重要なトピックであるが、キリスト教の影響力が大きかった地域の歴史における独自の概念ではないかと思われる。例えば、福沢諭吉や二宮尊徳が日本の啓蒙思想家であったということはできるかもしれない。鎖国中の日本ではキリスト教は禁止されており、開国後、西洋のことを学ぶ際にキリスト教徒になった日本人たちがいるのである。当日、佐藤洋一郎・立命館アジア太平洋大学教授が日本と西洋間の「かけ橋」の役割を果たした例として名前を出された新渡戸稲造にも、これは当てはまる。欧州の歴史認識と日本の歴史認識でも異なる可能性があることに注意が必要である。アラブやロシアからの参加者はいなかったけれども、「世界との対話」がスタートした意義は計り知れないほど大きいと思う。
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