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2013-10-20 00:00
現代の経済学の日本的基礎
池尾 愛子
早稲田大学教授
昨2012年10月に北京で開催予定であった、国際二宮尊徳思想学会(International Ninomiya Sontoku Association, INSA)の第6回隔年大会が中止されたことは、本掲示板に同年9月21日に記した。大会についての続報はないが、同会機関誌(年報)『報徳学』第10号は遅れていたもののようやく刊行された。中国からの寄稿が3本掲載されていることは、関係改善・学術交流の促進に向けての朗報であると期待したい。北京で発表できなかった論考「天野為之と二宮尊徳の教義」が大幅加筆のうえで同誌に収録されることになったのをきっかけに、尊徳文献の英訳にあたってみた。設立間もない農商務省で必読文献に指定され、明治期の経済学者の天野が熟読したと思われるのは、尊徳の高弟の一人、富田高慶が記した『報徳記』(1883年)である。オックスフォード大学で学んだ好本督(よしもと・ただす、 1878-1973)による英訳が「A Peasant Sage of Japan: The Life and Work of Sontoku Ninomiya」と題して、1912年にイギリスで出版された。『報徳記』では、尊徳の伝記と、尊徳と彼の弟子たちによる仕法の活動があっさりと描かれている。仕法とは、困窮した藩や村の経済についての詳細な調査、立直し計画とその実行までを含んでいる。1927-30年に『二宮尊徳全集』全36巻が刊行され、うち25巻を仕法の記録が占めるので、『報徳記』はその大事業の梗概と著者による観察記録を含むと考えればよい。英訳でも、尊徳たちが村人の勤労意欲を引き出すことに腐心していたことが読み取れる。
天野は、福住正兄筆記『二宮翁夜話』もかなり早い時点で読んでいたようだ。和綴じ全5巻の静岡報徳社版が1884-7年に、報徳図書館による普及版が1893年に利用可能になっている。イソー・ヤマガタによる英語版「Sage Ninomiya’s Evening Talks」は1937年に出版された。『二宮翁夜話』は神道、仏教、儒学(儒教)の教えも反映しているのだが、英語版ではキリスト教用語が多用された。もちろん、遡るほどに英語自体がキリスト教の影響を受けているので致し方ないかもしれない。それでも、貯蓄につながる「推譲」に充てられた英訳「concession(譲ること)」は申し分ない。
ただ『報徳記』の英訳でも『二宮翁夜話』の英訳でも、尊徳の「分度」がうまく翻訳されていなかった。思案の末、「分度」を「computable general equilibrium and sustainable growth」(計算可能な一般均衡・持続可能な成長)と訳してみると、ぴったり通じることがわかった。尊徳たちは詳細な調査をして、藩や村の経済の最適貯蓄率、最適税率つまりは財政の最適規模を実際に算出して、財政均衡を達成できるような藩や村の財政再建・経済基盤再構築を計画・実施していた。そして、効率的な灌漑システムの構築、新田開発、自然との融合を義務づけていたのである。この訳語について、日本経済思想の専門家たちが集まる研究会や、その場にはいなかった報徳思想の専門家に納得していただくことができた。天野は、近代経済学に通じる基礎を、こうした内容の『報徳記』等から日本語でも得ていたといってよい。それゆえ、江戸時代の二宮尊徳の思想の中に、近代経済学の基礎があったと主張してよいはずである。換言すれば、現代の経済学の基礎はヨーロッパ(キリスト教圏)以外にもあったとしてよいのである。
先の研究会で「それでも『分度』がわからない」との声が出たところ、居合わせた報徳思想の専門家から、「『分度』とは、『分を守って生きること』です」との助け船を出していただいた。質問者が納得すると同時に、現代語に翻訳するほどに道徳的因子が消えていくことも興味深かった。それは日本語に限らないはずである。例えば、英語の経済思想の古典でも宗教と経済思想が絡み合うとともに、ある種の道徳感を内包していたといえる。もちろん現在、日本において英語で授業をするとなれば、多様な文化的・宗教的背景をもつ学生たちが混在しているので、世俗的な英語を使うことが望まれるはずであろう。
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