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2013-10-01 00:00
憲法解釈変更の直面する2つの壁
屋山 太郎
政治評論家
日本は長い間「集団的自衛権を結ぶ権利はあるが行使できない」という奇妙な憲法解釈に縛られてきた。安倍首相は「このままの解釈で、かりに北朝鮮からグアムにミサイルが飛んできたのを見過ごせば、日米安保条約は一瞬で終わる」と述べてきた。第一次安倍政権時代に4つの具体的ケースをあげて“安保懇”で協議してきた。今回、改めて懇談会を立ち上げて軍事問題の協議を深めようとしている。
安倍首相が直面している問題は二つある。一つは、連立与党の公明党をどう説得するかだ。宗教政党というのは皆にいい顔がしたい思いが先走って、危機の状態を考えたがらない。日本の当面の危機は中国で、尖閣をとられかねない情勢になっているが、公明首脳は「話し合えば、何とかなる」と思って、訪中などを試みている。公明党がこのような状態にとどまる限り、将来の憲法改正の見通しも立たない。石原慎太郎維新共同代表がいう通り、公明は憲法改正の「足手まとい」になるだけだ。連立解消も視野に入れて、自公の交渉をして貰いたい。
第二の問題は、内閣法制局に憲法解釈を変えさせられるかどうかだ。安倍首相はすでに法制局長官に外務省条約畑の第一人者である小松一郎氏を据えた。歴代長官は「解釈を変えるのは、むづかしい」などと牽制しているが、一内閣部局である法制局が憲法解釈権を握っていること自体がおかしい。戦後、憲法では議院内閣制を目指して内閣法制局など置かなかったのに、占領が終わった1952年に、官僚政治復活の狼煙のように官僚は内閣法制局を復活させた。この法制局は、当初「自衛権を肯定してみても(軍がないのだから)実益はない」などと答弁、さらに「攻撃されたらどうするのか」という質問には「世界の正義感に訴えて、侵略行動を排除する」と憲法前文のようなことをいっていた。それが国際情勢の変化につれて動いてきて、集団的自衛権については「権利はあるが、行使はできない」と意味不明の解釈に行きつく。
米国でさえ一国では安全は保てないのが現実だ。集団的自衛権がなければ、安全は全うできない。国際法上、集団的自衛権を結ぶ権利を誰もが持つ。しかし、国内法でみると、行使できるとは読めない。そこで「権利はあるが、行使はできない」という珍妙なる解釈に行きついた。しかし、憲法98条には条約遵守の義務が書いてあるのをどう解釈するのか。法制局は4省から人を集めているが、正直いってクズばかり。小松氏に期待したい。
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