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2013-08-17 00:00
(連載)エジプト危機は克服できるか(1)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
8月11日、エジプトの暫定政府は、ムスリム同胞団の支持者たちによる、首都カイロでの座り込みの強制排除に取りかかる意思を表明しました。13日には警官隊とムスリム同胞団の衝突で1名が死亡。暫定政府の正当性をめぐって市民同士の衝突も発生しており、エジプトは今後より危機的な状況に向かう兆候を示しています。エジプトでは7月3日にクーデタが発生し、昨年6月に就任したモルシ大統領が拘束されました。これによって、ムスリム同胞団をはじめとする穏健派イスラーム政権は、わずか1年で崩壊したのです。軍部はその後、ムスリム同胞団の幹部たちを相次いで拘束。一方でその他の穏健派イスラーム組織には新憲法の制定に向けた協議への参加を呼びかけ、ムスリム同胞団の孤立化を図ると同時に、暫定政府の正当性を高めようとしてきました。IAEA(国際原子力機関)事務局長を勤めた経験と、ノーベル平和賞を受賞したことで国際的に知名度が高い、リベラル派のモハメド・エルバラダイが副大統領に就任したことは、内外に「軍部の独裁でない」とアピールするものです。また、軍部の呼びかけに呼応して、2011年11月の議会選挙で、ムスリム同胞団の政治部門であるFJP(自由公正党)に次いで第二党となったアル・ヌールは既に暫定政権に協力しています。しかし、イスラームの教義により忠実なサラフィー主義 に基づくアル・ヌールは、リベラル派のエルバラダイを副大統領に据えることに反対するなど、暫定政府は「反ムスリム同胞団・反モルシ」以外の共通項を欠いたものであるといえるでしょう。
失業率の悪化など、モルシ政権が国民生活を必ずしも改善できなかったことは確かです。さらに、必ずしも「イスラーム国家の建設」などを謳っていないものの、イスラームに特別な価値を認める内容の憲法を、イスラーム系組織以外の勢力が反発するなかで採択したことが、国内の分裂を深める大きな要因になったことも否定できません。これらの背景のもと、反政府組織タマロド(Tamarod)は6月から抗議デモを主導する一方、ツイッターやフェイスブックを通じて、モルシ大統領に退陣を求める署名活動を展開。エジプト総人口の約3分の一に当たる2200万人が署名したと発表しています。タマロドはアラビア語で「反乱」を意味し、その支持者の多くはリベラル派やキリスト教徒とみられます。そして、この運動と連動するように、モルシ大統領就任から1年を目前にした時期に抗議デモが頻発したのです。しかし、いかに不人気とはいえ、国民参加の選挙で選出された政権を軍事力で打倒することは、認められるべきでないでしょう。
モルシ支持者らと暫定政府との対立が抜き差しならないものになり、緊張が高まるなかで、米国やEUは仲介を試み、さらに暫定政府に対しては治安部隊による暴力的な鎮圧の自制を求めてきました。一方で、安部政権が「法の支配」や民主主義の価値を(主に中国を念頭に)熱心に掲げながら、この事態に何もアクションを起こさないことは、さして驚くことでもありません。ただし、欧米諸国の行動もまた、必ずしも民主主義の理念だけに突き動かされたものではありません。もともと、2011年の政変で失脚したムバラク大統領を30年に渡って支援したのは、西側諸国、なかでも米国でした。パレスチナ問題を巡るイスラエルとアラブ諸国の対立を背景とする、四度に渡る中東戦争は、エジプト政府の不満を高めることになりました。他のアラブ諸国政府が、外交上はともかく、実際には兵力をほとんど派遣しないなか、一貫してイスラエルとの最前線に立ち続けたのはエジプトでした。
エジプトの疲弊を恐れたサダト大統領(任1970-81)は、米国の仲介のもと、1978年のキャンプ・デービッド合意で、イスラエルとの単独和平に踏み切りました。これは他のアラブ諸国から「裏切り」とみなされましたが、他方で相次ぐ中東戦争に全面的に関与し続けたエジプト政府からすれば、「パレスチナ解放」や「イスラエル打倒」を掲げながらも実際には協力しようとしないアラブ諸国との関係より、眼前の脅威であるイスラエルと和平合意にこぎつけることで、自国の安全を確保するとともに、経済的衰退を食い止める決定だったといえるでしょう。(つづく)
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