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2013-06-29 00:00
(連載)トルコ人はトルコをどう見ているのか(3)
河村 洋
外交評論家
そこで、第三にトルコの内政に目を向けると、街頭での政府に対する厳しい批判にもかかわらず、トルコのアナリスト達は「AKPは欧米のメディアや論客達が思っているよりも国民から強固な支持を得ている」と言う。AKPは2011年に行なわれた先の総選挙では市民の動きにもかかわらず約50%を得票した。SETAのタハ・オザン所長は6月7日付けの寄稿で「AKPは軍事政権下の1982年に制定された憲法の改正やクルド労働党(PKK)との和平交渉の推進といった野党が積極的に取り組まない諸課題に取り組んでいる。そして『恐怖、閉塞感、抑圧感』だけでは市民の抵抗を説明できず、トルコの政治社会的な変動にもっと注目する必要がある」と指摘する。 非常に興味深いことに、ハムザ・タスデレン氏は5月28日付けで「AKPは野党の支持基盤の気持ちをつかんでいる」と主張する。民族主義者行動党(MHP)は憲法改正を拒否しているが、グラスルーツで彼らの支持基盤となっている中央アナトリアの保守派ナショナリストは改憲支持である。また、AKPは社会民主主義的なアプローチによって社会経済的な不平等に取り組む姿勢を見せ、共和人民党(CHP)の支持基盤にも浸透しいている。富裕層はAKPに投票しないかも知れないが「経済のためには選挙でエルドアンに勝たせておけ。しかし他の件についてエルドアンに政治的な決断をさせるな」と言うほどである。タハ・オザン氏は6月7日付けで「そうした政治情勢で政教分離の野党が有権者を惹きつけられなくなっている」と評している。
当然のことながら、上記の識者たちがAKPに対して好意的であり過ぎることには留意すべきである。彼らの分析には我々が傾聴すべき点もあるだろうが、エルドアン政権が大衆の不満に直面しているという事実を忘れてはならない。エルドアン首相はオリンピックを開催できるほどにトルコを安定に導いていない。他方で先進民主主義諸国はイスラム教自体に対する恐怖感にとらわれるべきではない。ヨーロッパはトルコのイスラム的な政治社会文化を極度に警戒してしまい、それがトルコを西欧民主国家の代わりに中露主導のSCOに立場を求めるように追いやってしまった。トルコの専門家達は一般国民が欧米諸国、教分離主義政党、そして現行憲法の番人を自負する軍部指導者層に失望していると明言する。アメリカはヨーロッパとトルコの立場の違いを橋渡しできなかった。
他方で日本はトルコの「親日」ぶりを無邪気に喜ぶだけである。だが日本がこの国のために何かしただろうか?殆どの日本人はトルコに関心もなく何も知らない。猪瀬直樹東京都知事がオリンピック誘致競争でイスタンブールに対する東京の優位を強調するために不適切な発言をしたが、この一件を批判するに足る日本のオピニオン・リーダーは殆どいない。逆に、トルコ国民は日本に好印象を抱いているかも知れないが、自国に真の危機が迫った時には日本ではなくアメリカとヨーロッパに支援を求めることは、シリア危機を見れば明白である。日本の政策形成者達はこのことを銘記し、トルコ政策を再考すべきである。
近隣アラブ諸国での自由を求める動きを考慮すれば、政教分離の民主主義を推進すること自体は間違っていないと考えるべきであるし、国際社会は現在進行中のトルコの政治変動の性質を理解する必要がある。時を同じくして、ブラジルでもリオ・デ・ジャネイロで開催されるワールド・カップ・サッカーをめぐってトルコと似たような形で市民のエネルギーが爆発している。新興諸国には何か共通の問題があるのだろうか?先に引用したトルコの識者達とは異なり、我ら日米欧の側としてはAKPを礼賛する立場にはないが、トルコ人の視点というものを注意深く検証する必要がある。例えば、トルコの野党には国民の支持を得られるだけの魅力がないという事実を見落すわけにはいかない。こうしたことからも、トルコ人によるトルコの考え方を掲載している『ザ・ニュー・ターキー』誌はトルコの政治変動を理解するために有益な資料である。(おわり)
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