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2013-06-27 00:00
(連載)トルコ人はトルコをどう見ているのか(1)
河村 洋
外交評論家
現在、トルコはエルドアン政権によるイスラム主義の内外政策に対する厳しい反発の真っただ中にある。トルコはシリアのアサド政権に対するNATOの最前線でもある。さらに重要なことに、トルコは環大西洋圏、中東、ユーラシアを結ぶ要の位置にある。こうしたことから、日欧米の政策当局にとり世界と国内でのトルコの立場を理解することが肝要であり、その一助として英文の外交安保専門誌『ザ・ニュー・ターキー』誌(http://www.thenewturkey.org)の論文をいくつか取り上げてみたい。なお、同誌には例えばコロンビア大学のジェフリー・サックス教授のような論客も投稿している。
第一に、現代トルコ建国以来の外交の流れを概観したい。イスタンブールにあるマルマラ大学タリプ・キュシュッカン教授とトルコのシンクタンクである政治経済社会研究財団(SETA)のミュジェ・キュシュッケレス助手は5月17日付けの投稿で、ケマル革命からエルドアン政権下でのイスラム主義外交に至るトルコの対外政策の基本的な動向を概括している。イスタンブール暴動以前に書かれたこの論文では、トルコはもっと自らを主張する外交政策をとるように主張している。タイップ・エルドアン首相がイスラム主義外交に走るにはこれが理由の一つなのだろうか?
こうした主張の背景として、ケマル・アタチュルク以降のトルコの外交史を理解する必要がある。1923年の革命を経た戦間期と第二次世界大戦時には、トルコは中立の立場を守った。戦後、トルコはトルーマン・ドクトリンによって西側陣営に入った。これには冷戦の地政学のみならず、トルコがケマル主義による西欧化で国家建設を行なってきたという背景もある。1955年にバンドンで開催された第1回アジア・アフリカ会議ではトルコは欧米を弁護し、さらにスエズ戦争では英仏による侵攻を支持したばかりか、それ以外にも欧米諸国が中東で行なった介入政策を支持した。その結果、中東地域の近隣諸国はトルコを欧米のトロイ木馬だと見なすようになった。しかし、1960年にはアメリカがキプロス民族紛争へのトルコの介入を批判し、またデタントによってソ連との関係も緩和したために西側同盟との関係は弱まった。それが1980年にはイラン革命によるイスラム主義の脅威に加えてソ連のアフガニスタン侵攻やイラン・イラク戦争による情勢の不安定化によって、トルコ外交の振子の針は西側に揺れ戻すこととなった。
冷戦が終結すると当時のトゥルグト・オザル大統領はトルコ外交の刷新を打ち出し、従来以上に自国の主張を出して多次元的な外交を模索するようになった。そうした中、湾岸戦争によって中東でのトルコの戦略的重要性が高まり、またソ連崩壊によってトルコ、カフカス諸国、中央アジア諸国の間にある歴史的なつながりに対する意識も高まった。同大統領は「アドリア海から中国万里の長城まで」というビジョンを打ち上げたが、ポスト・モダンで非軍事指向のヨーロッパは権威主義的なトルコの台頭に警戒心を抱くにいたり、また国内ではイスラム主義者とクルド人は主流派のケマル主義者の欧米志向には反対であった。(つづく)
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