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2013-05-07 00:00
主権回復記念式典反対について思う
石崎 俊雄
龍谷大学教授
さる4月28日、政府主催の主権回復記念式典が執り行われた。これは、太平洋戦争後7年近くの時を経てサンフランコ講和条約が発効して日本が独立を取り戻したことを記念したものである。ご存知のように、この時、奄美、小笠原、沖縄は独立から取り残され、特に沖縄にとってはこれがその後も長い苦難が続く要因になっていることは確かである。しかしだからといって、記念式典そのものに異を唱えることには賛成できない。政府が、沖縄のことを顧みず祝賀のみを考えているのであれば、その意見も理解できるが、実際にはそうではないからだ。
反対を唱える沖縄の人たちは、沖縄が本土復帰した5月15日であれば記念式典を行っても良いと考えているのであろうか。恐らく、そんなことはないであろう。なぜなら、沖縄の現状を考えればとても祝う気にもなれないであろうし、サンフランシスコ講和条約とは関係ないが、北方領土では今でも日本の主権は回復していないのである。このような状況の中で、沖縄の特殊性のみを殊更強調して反対を主張することは、沖縄の現状を何とかしたいと思っている多くの国民との連帯感を大きく傷つけ、北方領土の元住民から見ても納得できないであろう。
この問題は、非常に根が深い問題である。先の大戦では、沖縄での民間人の戦死者数は群を抜いているが、広島、長崎始め、各地で空襲による民間人の戦死者が多数出ている。本当に追究していくべきは、このように国民の生命と財産、そして天皇陛下の生命と国家の独立をも質草にして、大ギャンブルを敢行した責任の所在である。太平洋戦争前の日本は非常に難しい状況に置かれていたことは確かであるが、そこから脱却するためにこれほどまでの国民の犠牲が必要であったという正当性は全くない。
記念式典への反対は、むしろ、このような重大な問題を矮小化することになってしまっている。したがって、このようなやり方は本質的に間違っているのではないかと私は思う。戦争責任の追及という観点で言えば、A級戦犯は戦勝国から見た戦争犯罪の処断であって、前述の失政に対する責任の所在を明確化したものではない。戦争反対を唱える時に戦争中に自分の身に降りかかった苦難を主たる理由にするのであれば、多くの人の賛同を得ることは出来ない。また、いくら憲法9条で戦力を放棄しても平和は維持できない。物事の本質を捉えて真実を明かし正義を追究することによってのみ、平和は維持され様々な国民の苦難も解決されていくのではないかと思う。
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