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2013-04-16 00:00
(連載)憲法96条改正を考える(1)
緒方 林太郎
前衆議院議員
憲法96条の改正条項を緩やかにする改正について議論が進んできています。色々な方がこれについては発言しておられますが、理論的なところでの「そもそも論」が欠けているような気がしてなりません。そこで問題意識をもう一度整理したいと思います。このことを考えるに際して、以下の3つの論点を提示したいと思います。最初は迂遠なアプローチに見えると思いますが、最後は96条改正の問題に繋がっていますので御容赦ください。
(1)憲法は全部改正(事実上の新憲法策定)が可能か、(2)(1)において改正すべからざる部分があると考える時、憲法96条はその中に含まれるか、(3)(2)において96条が改正可能であるとする時、何処まで改正してもいいのか。(1)は言い換えれば、「日本国憲法を制定した行為を、改正する行為ですべて乗り越えることができるか」という問いかけと一緒になります。いいかえれば、全く新品の憲法を作るところまでいけるか、ということになります。非常に極論すれば、少し言い過ぎかもしれませんが、憲法学の大家宮沢俊義教授のいった「8月15日革命論(主権の所在の移行は法的には革命であり、日本は昭和20年8月15日に革命が起きたとする学説)」というようなことを起こしうるかということにすら繋がると思います。
その時代ごとに生きる人間の英知を信ずれば、制定時の理念がすべてではなく、制定と改正を同列に置き、全部改正も可能だというふうに考えることができます。法的に詰めれば、「仮に全面改正が不可能であるとしても、全面改正が可能であるという改正を行えば、二段階で全面改正は可能になる」という考え方になります(芦部教授はこういう説です)。ただ、国民感情的にも「幾つか、絶対に改正してはならない部分がある」というふうに思っておられる方が多いのではないでしょうか。具体的に言えば、国民主権、基本的人権、法の下の平等、平和主義といった規定(例示的列挙)については、文章の微修正はあるとしても、その理念自体はどう改正しようとも否定してはならないと私は思います。おそらく、全部改正論者もその点は納得いただけると思います。
そうすると、(2)の問いが出てきます。すなわち「憲法96条が体現する硬性憲法の理念は一切いじってはならないのか」ということになります。さらに言えば、「今の憲法96条は、日本国憲法の不可分の理念を体現しているものであるかどうか」ということです。まず、「硬性憲法」であるということについては、かなり多くの国民のコンセンサスがあるように私は感じます(あくまでも私の感じ方なので、それを押しつけるつもりはありません)。その「硬性」であることについては、日本国憲法の不可分として一体をなす部分だと思います。では、その「硬性」とは何ぞやということについては、色々な議論があっていいと思います。ここでは96条改正の可能性についてというよりも、「硬性」であることは維持されるべきであろう、というところで議論を止めたいと思います。(つづく)
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