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2006-09-20 00:00
存在感と発言力の基盤となるもの
小笠原高雪
山梨学院大学教授
9月16/17日付の田島高志氏の連続投稿「中国との宣伝戦に負けた日本」を拝見し、幾つかの感想を抱いたので、そのことについて書き留めておく。
田島氏は、日本の国連安保理入りが昨年実らなかった重要な原因として「中国の宣伝戦」を指摘するとともに、そこから「日本の真の姿の世界への発信をこれまでよりも数十倍工夫して努力する必要がある」という主張を行なっている。このうち結論にあたる後段部分に私は全く賛成である。「自己宣伝を評価しない国民性」に関する田島氏の議論は具体的で説得力があるし、NHKの国際放送にインパクトが乏しいことは海外でTVを見た日本人の多くが感じることではないかと思われる。こうした議論は昔から多くの国で行なわれてきた。たとえば、英国の歴史家E・H・カーは、すでに70年近く前の時点で、政治における世論の重要性の増大を背景として、国際関係においても「世論を動かす力」が登場してきたことを指摘している。すなわちカーは、第一次大戦における連合国の勝利をもたらしたのは「軍事力と経済力と世論を動かす力の巧みな結合」であったと述べるとともに、それを契機に世界の主要国は平時においても宣伝や広報に対し組織的な努力を行うようになったことを指摘している。
そうした努力を日本も強化すべしというのが田島氏の主張であり、それには私も全く賛成なのであるが、ここで一つ確認しておきたいことは、カーが述べていたのは「軍事力と経済力と世論を動かす力の巧みな結合」だったということである。それから時代は移り、世界は大きく変化した。「戦争」や「外交」の形態もまた変化した。そうした変化の結果、国家は経済援助と広報活動だけで国際社会における存在感や発言力を確保できるようになったのだろうか。日本は、現代世界においては安全保障の課題が経済社会分野を含めて拡大していることを指摘し、新たな課題に対応できるように国連を改革する必要があると主張し、自らの安保理入りをその一環として訴えた。これはたしかに正当な議論であろう。しかし、それにもかかわらず、安保理の最大の存在理由は国連の創設時から変わっていないし、その観点からみた日本は安保理に不可欠の国家ではない。安保理入りの挫折に「中国の宣伝戦」が作用していたことは事実としても、米国の不支持も重要だったはずである。
私は結論を急ぐつもりはないし、その用意もさしあたりない。国際社会における存在感や発言力の基盤となりうるものはさまざまであり、現在の日本はそれを部分的にしか持っていない、という事実を確認しているだけである。そして、それは、田島氏の主張を否定するものでは決してない。今後の日本がどういう種類の力をどの程度まで持とうとするにせよ、それを国際社会における存在感や発言力に結びつけるためには、日本の意図を正しく伝える努力がきわめて重要だからである。
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