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2013-02-01 00:00
中国の環境対策と政治的意思
池尾 愛子
早稲田大学教授
1月24日のグローバル・フォーラム等共催の『日中対話』のセッション1「日中環境・エネルギー協力の新たな展望」に参加して、気づいたこと、思い至ったことを今少し書き留めておきたい。『対話』終了後からウェブサイトに公表されている「会議資料」によってもわかるように、専門用語がかなり飛び交っていた。「PM2.5」(ピーエムニテンゴ)が注目されているのは、これが直径2.5マイクロメートル以下の浮遊微粒子状物質で気管を通過しやすく、ぜんそくや気管支炎を引き起こし、人体への影響も大きいからである。『対話』開催前だけではなく、その後も、中国の大気汚染の深刻さが報道され続け、その悪影響はどうやら西日本に到達し始めているようだ。視界不良の北京市での同濃度は、世界保健機関(WHO)が定める基準の20倍に達したとのことである。本日2月1日付けの『日本経済新聞』および英紙『ファイナンシャル・タイムズ』には、中国の大気汚染はついに、飛行機の離発着制限、工場の操業制限など経済活動にまで甚大な影響を及ぼし始め、経済成長率も低下するとの予想が出ている。
環境協力のセッションでの報告を聞きながら考えたのは、日中間での協力が続いてきたにもかかわらず、中国の大気汚染は緩和されないばかりか、悪化の一途をたどっている、それはなぜか、ということである。他の出席者の中にも、同じ思いを禁じえない人々がいたように思う。「中国では環境対策にメディアを使っていない」、「民主主義がないからだ」という声が聞こえてきた。それと同時に、「環境を守る」、「中国国民の健康を守る」という政治的意思が欠落しているのではないか、と私には感じられるようになった。
確かにビジネスベースでの環境協力、環境対策が進めばそれは大変に望ましく、今後も継続されるべきである。しかし、環境問題を根本的に解決するためには、強権を発動することが不可欠である。ドイツ企業と日本企業を競わせるがごとく、中国社会主義のために市場経済を利用すれば、環境問題は改善される、などと言っている場合ではないのである。そんな余裕はもう無くなっているのである。根本的に間違っていたのではないか。西側の経済学の教科書では、環境問題が発生する原因の一つには市場の失敗があり、政府が市場に介入して解決を図るべきであるとされている。
環境セッションの中国側の報告にあったと記憶するが、日本ではまず企業の本社の集中する東京都において、厳しい環境規制を課して実行し、そうした規制を全国に広げていった、という経験が紹介されていた。別言すれば、新疆ウイグル自治区ウルムチ市で大気汚染物質と温暖化ガスを同時に制御するモデル事業を実施するのは悪くないが、中国全土へのインパクトは疑問視されるのである。『対話』後、北京市では2月1日から自動車の排ガス規制が強化されるとの報道もあるので、改善に向けて期待はしたい。偶然だろうか、東京都知事として浮遊粒子状物質の規制に果敢に乗り出したのは、石原慎太郎氏であった。彼は有権者の支持を得て、報道陣とテレビカメラの前で、黒い粒子状物質が詰まった透明のガラス瓶の蓋を取って、一振りして物質を浮遊させ、次のようなことを言ったのである。「こういうのを大気中に飛ばしておいていいんですか」。報道記者たちもそんなものを吸引したくなかったようである。環境対策は市場原理に任せるものではなく、政治家が強い意思を持って政治主導で行うものである。通常、国民の支持、有権者の支持はその前提になるはずであろうが、中国の場合、それらの表明なしで敢然と実施できるのであろうか。
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