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2012-12-23 00:00
(連載)「与党の党首を野党が支持する」危険性(1)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
12月16日の衆議院選挙で54議席を獲得した日本維新の会の橋下代表代行が、首班指名において「自民党の安倍総裁を支持するべき」という主旨の発言をし、これに対して石原代表が反対し、最終的に石原代表への投票で一致しました。この方針の転換を「撤回」と表現した毎日新聞などに対して、橋下氏は「議論の過程をオープンにしたまで」とし「『撤回』の撤回」を求めています。「撤回」でも「修正」でも、内容からすれば「退却」と「転進」ほどの違いしかないと思いますが、いずれにしてもこの一連の出来事が、橋下氏の「民主主義」の危うさを象徴すると言えることは確かです。
橋下氏の「この選挙結果は尊重しなければならない」という主旨には同意します。いかなる結果であれ、自由かつ公正に行われた選挙である以上、それがこの国の意思決定主体である議会の構成を決定付けるものであることは確かです。それは、「ゲームのルール」である選挙を尊重することに他なりません。しかし、「これだけ大勝した自民党、公明党が出した首班に従っていくのが、多数決、民主主義の原理」であり、それが「民主主義のイロハ」とまで言われると、そこには正面から反対せざるを得ません。
通常、省略形で用いられる「民主主義」は、正確には「自由民主主義」のことであり、日本を含む西側先進国で一般的な「民主主義」とは、自由主義と民主主義が融合した概念です。このうち、自由主義は「少数者の権利」、言い換えれば「思想信条、身体、財産などに関する個々人の権利を保障するべき」という考え方です。これに対して、民主主義は「多数者の主権」、言い換えれば「多数派の意見を全体の意見にすべき」という考え方です。
どちらも、今の社会を形作る基本的な原理でありながら、両者は鋭く対立するものです。歴史を振り返れば、いずれか一方が優位を持った結果、社会全体に負の影響を及ぼした例は枚挙に暇がありません。19世紀のイギリスで「法の下の平等」が確立され、個々人の権利が保障されながらも、参政権が大土地所有者に限定されていたことは、自由主義が民主主義に優越する、不平等で固定的な貴族政を存続させました。一方、革命後のフランスで、少数派である旧体制支持者が、弁護される権利など個人の権利が事実上無視された革命裁判で処断されたことは、民主主義が自由主義に優越する、少数派の排斥を厭わない全体主義をもたらしました。いずれかの原理が一方的に優位を占める危険性を人間は学んできたのであり、そのために両者がバランスを保つ必要があるのです。(つづく)
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