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2012-12-19 00:00
敗軍の真紀子に「兵」は語れぬ
杉浦 正章
政治評論家
史記に「敗軍の将、兵を語らず」とある。戦に負けたものは、兵法について意見をの述べる資格はないのだ。ところがこの内閣の落選閣僚たちは、抜けしゃあしゃあと兵を語る。その先頭に立ったのが文科相・田中真紀子だ。批判の矛先を野田の解散決断に向けた。日本には古来惻隠の情という言葉がある。負け戦の敵の大将を人間として思いやるような心である。その雰囲気が政界にも国民の間にも横溢しているのを、真紀子は読めない。負けたのは「あんたのせいよ」と言わんばかりの発言を繰り返した。父田中角栄と真逆の性格を臆面もなくさらす。真紀子落選の12月16日は、角栄の命日であった。「もうこれくらいにして、生き恥をさらしてくれるな」という父親の声が草葉の陰から聞こえるようである。
13閣僚のうち8人を落とした野田内閣は、人間としても三流ばかりを集めたことになる。田中に加えて、財務相・城島光力、郵政相・下地幹郎、厚労相・三井辨雄らの閣議後の陳腐な恨み節を聞くと、民主党というのは本当に人材の居ない政権であったと言うことが改めて知らされる。とりわけ田中がひどい。野田の解散を「自爆テロ解散」と形容し、「自民党から『辞めなさい』『いつ解散するのか』と、単純な二言をずっと言われて、極めて独りよがりに決断した」とこきおろした。しかし、文科相として常識外れの大学認可取り消しを得意げに発表して、世論のごうごうたる反発を買ったのは誰か。「自爆テロ」の火薬をせっせと詰めていた張本人は、田中自身ではなかったのか。「今まで民主党が発信してきたことを継続するのだったら、党代表を変えるとか、8月の任期いっぱいまでやって成果を出す方法はあったと思う」と、首相を代えて解散を先延ばししたなら勝てたと、強調した。しかし、勝てる要素は絶対無い。なぜなら、ほぼ確定的に民主党政権は末期症状を呈し、国民に唾棄されていたからだ。支持率を上げる材料などはゼロだった。内閣が続けば、野党は通常国会で首相と文相への不信任案を提出したであろう。可決も必至であっただろう。任期満了選挙などしていたら、それこそ社民党と議席を争うような政党になっていたのだ。野田の判断で辛うじて野党第1党にとどまることが可能となったのだ。
田中の選挙は、負けるべくして負けた。真紀子が自らの宣伝カーのウグイス嬢に「下手だからおりなさい」と、車から降ろさせたという話が、選挙区にあっという間に伝わった。これで勝負があったと思ったが、田中真紀子は案の定落選した。田中角栄健在なりしころ、娘を田中邸にお手伝いに出す地元の親は「あそこには鬼が居るけど、角さんは優しい人だから、我慢するんだよ」と因果を含めて送り出したものだが、早い娘は半日で飛び出して、帰ってきたという。それでも真紀子が当選できたのは、田中角栄の「情の政治」の残光があったからだ。今度ばかりは、さすがに我慢強い新潟の有権者も「ノー」を突きつけた。「図に乗るな」ということだろう。
どうして人間に優しい父親からこんな娘が出来てしまったのだろうか。真紀子発言はすべて、敗者を水に落ちた犬を叩くように叩く。野田批判などはまだいい方で、安倍晋三などはかつて、子供が出来ないのを理由に、「種なしスイカではないですか。種なしスイカに何が出来る」と攻撃されている。「かんぞうだか、しんぞうだか」と発言し、「51歳のコピー人間で、頭が悪い」とまでこき下ろされている。「人間には、敵か、家族か、使用人かの3種類しかいない」という人間不信で成り立っている思考形態は、父親とは全く異質のものであり、その人生観には哀れみさえ覚える。田中角栄は首相時代秘書官に対してもわざわざ毎晩労いの言葉をかけたり、守衛にまで気を遣った。ライバル三木派の渋谷直蔵の妻が死去したのは夏だった。田中はすぐさま生花を贈った。本葬まで一週間あると知ると、「花が枯れている頃だ差し替えよ」と指示したものだ。真紀子は今後の身の振り方について「この地域に責任がある」と述べ、政界引退は否定した。「政治は天命だと思っています。大好きな仕事ですから」と再出馬に含みを持たせた。不屈の精神だけは父親譲りのようだが、残念ながら田中の威光はもうない。角栄の有名な言葉に「跳ねた鯉が地面に落ちたら、干物になるだけだ」がある。もういいかげんにあきらめた方がいい。政治は君を必要としていないのだ。
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