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2012-12-16 00:00
(連載)エジプト革命は終わらず:国民投票をめぐる混乱(3)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
昨年吹き荒れた「反ムバラク」の主張は、体制の中核にいた「彼ら」と、そこから疎外された「我々」という、同質化と差異化の結合した見方に基づいていました。しかし、その憎悪の対象であったムバラクがいなくなったとき、反ムバラク勢力は同質性を失いました。もっぱら「敵」との差異化によってのみ同質性を保っていた勢力は、その対象を失ったとき、同質性を失わないようにするために、今度はお互いの差異化を進めがちです。その結果、反ムバラク闘争の過程で大目にみられていた、あるいは不問に付されていた、イスラーム主義者、リベラル派、キリスト教徒などの間の差異が表面化したのです。新憲法の草案では、第3条でキリスト教徒やユダヤ人らマイノリティの信仰の自由が、第45条で表現の自由の保護が、それぞれ保障されています。さらに、法律によらない逮捕の禁止(35条)、通信の秘密の保護(38条)など、権威主義体制のもとで常態化していた人権侵害から国民を保護する条項が確認されます。
一方で、第2条でイスラームが法の精神の根本をなすことが強調されているほか、第11条では国家が公共の秩序とともに倫理、公衆道徳、愛国心、アラブ文化なども保護することが明記されています。さらに、第31条では、他者の尊厳を傷つけることが禁じられています。これらの条項は、特定の価値観を国家が強制する契機になり得るとして、さらに(女性の権利などを制約しがちな)イスラームの教義に批判的な言論を取り締まろうとするものとして、リベラル派らから警戒・批判されています。とはいえ、イスラーム主義者からすれば、これらは譲れない一線です。欧米諸国では、「表現の自由」の名の下に、預言者ムハンマドやイスラームそのものが揶揄される、あるいは侮辱されることが頻発しています。今年の9月にも、アメリカでイスラームを批判する内容の映画 ‘Innocence of Muslims’ が公開されたことが、その後イスラーム圏で大規模な反欧米デモを引き起こしました。つまり、表現の自由が無制限に許容されると、他者(この場合はイスラーム)の尊厳を傷つけることになりがちで、それはエジプト社会の混乱をもたらすため、認められないというのが、イスラーム主義者の主張なのです。その意味で、今回の憲法草案が、多分にイスラーム主義の影響を受けていることは確かです。
イスラーム主義者と、それ以外の勢力の考え方をすり合わせるのは容易ではありません。とはいえ、既にみたように、増幅していたムルシ政権への不満が爆発した契機は、一時的とはいえ司法判断を無効にする大統領令にありました。司法関係者に旧政権支持者やリベラル派が多いことに鑑みれば、憲法裁判所がムルシ政権にとって、目の上のたんこぶであることも確かです。しかし、選挙で勝った多数派の決定を問答無用で通すのは、その「ゲームのルール」に対する信頼があり、不満な人たちは次の選挙で違う勢力に投票して政権を交代させればいい、という環境が整備されたあとですべきであって、そもそも憲法すら暫定的なものしかない状況では、相互不信を高めるだけです。なにより、多数者の意思をもってしても奪えない少数者の権利を認めてこそ、民主主義は独裁や全体主義に陥ることを避けられるのです。
力で抑えられていた社会が、その重石を取り払った時、それまで抑えられてきた自己主張のエネルギーが一度に噴き出すのは避けられません。そのなかで、「独裁者」に抵抗する時には力を合わせることのできた者同士の間で、原理・原則の差異が逆に際立ってくることもまた、多くの革命の歴史が示す通りです。しかし、そのように社会が四分五裂し、争いが絶えない状況は、革命後のフランスでナポレオンが国民から求められて皇帝に即位したように、多くの人に力と安定を求めることになりがちです。12月7日、メッキ副大統領は国民投票の延期の可能性を示唆しました。考え方の相違もさることながら、その手順に不満が集まった以上、モルシ政権の譲歩があって初めて、事態の打開が期待されると言えるでしょう。(おわり)
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