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2012-11-05 00:00
(連載)南アフリカでストライキはなぜ拡散したか(1)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
8月16日、南アフリカのマリカナにあるイギリスの資源会社ロンミンが保有するプラチナ鉱山で、ストライキ中の労働者と警官隊が衝突し、34名が死亡しました。これは1994年に今の体制になってから、警官の発砲で発生した最悪の犠牲者数です。その後、ストライキは他の鉱山の労働者、さらにトラック運転手など業種を越えて伝播しました。南アフリカは、サハラ以南アフリカ諸国のGDP合計の約30パーセントを占める地域最大の経済大国であり、また、ブラジル、ロシア、インド、中国のBRICsにも正式に迎えられた、世界有数の新興国でもあります。金、白金、クロムなどの採掘量は世界一で、昨今の資源ブームを追い風に、急速に成長してきました。しかし、南ア政府によると、金鉱山とプラチナ鉱山の操業停滞による損失は、10月25日までで101億ランド(約12億ドル)となっています。また、トラック運転手によるストが流通の不安定化に繋がって自動車メーカー各社も工場の操業が滞り、現地に進出しているトヨタの工場も、一時部品メーカーのストで無期限の生産停止に追い込まれました。これらを受けて、スタンダード&プアーズは、南アフリカの格付けをBBB+からBBBに引き下げました。また、南ア財務相は2013年GDP成長率予測を、それまでの3.6パーセントから3.0パーセントに引き下げています。
今回、立て続けにストが発生した背景には、世界共通の景気後退(いわゆるリセッション)だけでなく、南アフリカ特有の事情もあります。かつて、南アフリカでは悪名高いアパルトヘイト体制が敷かれていました。白人と非白人は、私的、公的あらゆる面で厳格に区別され、黒人は人口で圧倒的多数を占めながらも、公民権をはじめ、ほとんどの権利が剥奪されていたのです。あまりにも露骨な人種差別体制は、国連による経済制裁の対象にもなり、最終的には1994年に全人種が参加する選挙の実施と、ネルソン・マンデラ率いるアフリカ民族会議(ANC)の勝利で終結を迎えました。いろんな肌の色の人間が集まって一つの国になるという理念から、その後の南アフリカは「虹の国」と呼ばれるようになりました。
アパルトヘイト時代と比べて、南アフリカには大きな変化がいくつも生まれています。企業には黒人を一定の割合で従業員として雇用することが義務付けられ、黒人中間層が数多く生まれました。さらに、基幹産業である鉱物輸出が好調であることを背景に、これに関わる政府系企業やANC関係者を中心に、「ブラック・ダイヤモンド」と呼ばれる富裕層も登場しました。しかし、その一方で、公営住宅の建設などは黒人居住区が優先され、白人のなかには「プア・ホワイト」と呼ばれる貧困層も出てきています。私自身、白人のホームレスをみた時に、時代の変化を強く感じた記憶があります。
ただし、人種と所得水準がかつてほど明確に連動していないとはいえ、低所得者に黒人が多く、高・中所得者に非黒人が多いことは、アパルトヘイト時代と大きく変わりません。ジンバブエなど近隣諸国からの移民が増え、より安い賃金で働くことも、南アフリカ黒人の失業の種になっています。これに加えて、南アフリカは世界レベルでみても格差の大きい社会です。世界銀行の統計によると、2006年のジニ係数は67。格差の激しい中国の42(2005年)、ブラジルの57(2005年)などを上回る数値です。さらに、この数年の資源ブームと、それに基づく海外直接投資の増加は、低所得者にとって必ずしも恩恵だけをもたらしたわけではありませんでした。投資の流入は物価上昇を呼び、やはり世界銀行の統計によると、昨年のインフレ率は8パーセント。世界平均が5パーセントだったことに比べも高く、これに関しては中国(8パーセント)、ブラジル(7パーセント)と同レベルです。(つづく)
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