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2012-07-03 00:00
(連載)国家の安全保障政策に関して(1)
石崎 俊雄
龍谷大学教授
国家において安全保障というのは絶対的に重要な事項である。現在の世界において、良くも悪くも、人々の生命、安全、財産は国家単位で守られているのであるから、国はこれに対して重大な責任を負っている。これは、他国民に対して搾取を企てるとかとは全く異なる意味であり、地震や災害などの自然現象から身を守ることから始まって、生活物資の世界における分配などを司るものである。安全保障の本質はこのようなものでありながら、形として目に見えるものは、経済的対立であったり、軍事的対立であったりするために、それを避けたり軽んじたりすることが望ましいという誤解をしている方が多数おられるようである。
安全保障のためのひとつの実力として、軍事力は欠くことができないものである。過大でもなく過小でもない適度な軍事力によって国家が守られていることの恩恵を国民はもっと理解してもいいのではないかと思う。もちろん、軍事力はややもすれば、悪しき心を持った人間に悪用される危険性は常に付きまとっている。それでも、そういったリスクを無くするような不断の努力のもとで、コントロールしていくことが重要である。
過去の戦争体験(といってもほぼ太平洋戦争の体験と同義語と思われるが)を基に戦争の悲惨さを訴えられ、平和の尊さを訴えられているお年寄りは、数は少なくなってこられたとはいえ、多くいらっしゃる。平和がどれほど尊いものか、それはその通りである。しかし、だからと言って、軍事力を含む安全保障を疎かにしていいというものでは決してない。逆に、平和を維持するなら、もっと真剣に安全保障を考えるべきである。
太平洋戦争の体験というものは貴重ではあるけれども、世界の様々な地域で起きた有史以来の戦争の中では、ある一つの例に過ぎず、極めて特殊なものである。旧帝国陸海軍が強大な戦力を有していたために悲惨な戦争が起きたので、戦力を持たねば平和が維持できたという考え方が、百歩譲って仮に太平洋戦争には当てはまったとしても、それ以外のケースではほとんど当てはまらないということは歴史をちょっと勉強すれば明らかである。(つづく)
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