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2012-06-25 00:00
「共通だが差異ある責任」原則は見直せ
高峰 康修
日本国際フォーラム 客員主任研究員
6月20日から22日の日程で、ブラジルのリオデジャネイロにおいて「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が開催され、約190カ国・地域の首脳や政府関係者による協議が行なわれた。リオ+20は、1992年に同じくリオで開催された「国連環境会議(地球サミット)」から20周年を迎えるのを受けて、地球サミットのフォローアップを目的として開催されたものである。20年前の地球サミットは、「共通だが差異ある責任」の原則のもと、気候変動枠組み条約や生物多様性条約が署名されるなど、地球環境保護のグローバルイシューへの位置づけにとって、金字塔的な存在とされてきた。「共通だが差異ある責任」とは、先進国も途上国も地球環境保護という大目標に責任を負うという点では「共通」だが、これまで環境に負荷をかけて発展を遂げてきた先進国と、これから発展しようとする途上国の間には責任の程度に「差異」がある、という考え方である。
リオ+20では、「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」「持続可能な開発のための制度的枠組み」が二つの重要な柱とされた。しかし、結局、総論的な文書が採択されただけで、具体的な成果があったとは到底言えない。とりわけ、化石燃料への依存を低減し、低炭素社会への転換を目指しつつ、経済成長も追求するという「グリーン経済」の構築は、注目されたが、先進国と途上国を含んだ世界共通のロードマップは作成できなかった。
このような結果に終わった大きな原因の一つは、「共通だが差異ある責任」の原則がいよいよ行き詰まってきたという点を指摘できよう。この原則は、元来、南北問題をだまし、だましして、地球環境問題に全世界を何とか引き込もうという妥協の産物であった。仮に、先進国と途上国の間に何らかの「差異」があることを認めるにしても、途上国側がこの原則を、途上国には環境破壊を続けながら開発・発展を目指す権利が留保されているかのように主張したのは、行き過ぎであった。先進国に対して、途上国の環境破壊を止めるため、および途上国の発展のために経済支援を行なうよう強く求めてきたのは、「共通だが差異ある責任」の原則の濫用であった。
地球サミットから、20年が経過して、新興国の台頭という新しい重要な側面が明確になってきた。こうなると、20年前の「共通だが差異ある責任」の原則は、明らかに実態に即していない。中国の温家宝首相は「中国は大きな途上国であり、先進国は持続不可能な生産・消費モデルを放棄し、途上国の発展を助けるべきだ」と述べている。最大の温室効果ガス排出国である中国がこのような主張をし、グリーン経済に反対するようでは、衡平性に著しく欠けるし、実効性も到底望めない。一方、途上国といっても、地球温暖化による海面上昇の脅威に直面している島嶼国などは、温室効果ガス削減に敏感であり、今や、先進国対途上国という単純な構図は成り立っていない。極めて困難な作業となることは間違いないし、パンドラの箱を開けることにもなるが、「共通だが差異ある責任」の原則を、真剣に見直す時期に来ているのではないか。なお、温家宝首相の発言は、温室効果ガスの主要排出国である中国の真摯でない姿勢を明確にしてくれた。我が国のマイナス25%の公約の前提が崩れたということである。こういう機会をとらえて、マイナス25%の公約を修正するべきであろう。
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