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2012-06-14 00:00
森本防衛相起用にあたり、シビリアン・コントロールの本質を考える
高峰 康修
日本国際フォーラム客員主任研究員
6月4日の内閣改造で、森本敏氏が防衛大臣に起用され、初の民間人防衛相として話題になったが、これは、シビリアン・コントロールの本質を考える機会と捉えるべきである。もちろん、それは、森本氏が元自衛官だから問題だ、などという次元の話ではない。シビリアン・コントロールの要諦の一つである「民主的正統性」をいかに捉えるべきか、という点が焦点とならなければならない。森本大臣自身、就任時の記者会見において、国会議員でないことのハンディがあることを認めている。また、自民党の石破茂氏は、民間人が防衛相となって政治責任がとれるのか、と疑問を呈した。与党内からも、選挙で選ばれていない民間人が防衛相の職責を担えるのか、と同様の疑問が呈された。こうした議論は、枝葉末節にこだわった、取るに足らない話のように見えるが、本来、本質的な話である。
シビリアン・コントロールが求める「民主的正統性」とは、第一義的には、民主的手続きによって構成された政府が軍を統制すべし、ということである。したがって、民間人を防衛相に任命したとしても、防衛相は内閣の一員として、連帯して国会に対して責任を負いながら、自衛隊を指揮するわけであるし、自衛隊の最高指揮権を有するのは内閣総理大臣であるから、直ちにシビリアン・コントロールの原則に違背するというわけでは決してない。とはいえ、防衛大臣の自衛隊に対する権限はかなり大きい。しかも、その内容は、国家の安危と国民の生命・財産に直接的にかかわる性質のものである。したがって、その決定に対して直接政治責任を負うことのできる国会議員が防衛大臣を務めるほうが、シビリアン・コントロールが要請する「民主的正統性」により合致することは間違いない。
内閣の一員として連帯責任を負って自衛隊を指揮するのだから、防衛相としての人材を広く民間に求めてよいではないかと考えるか、防衛相の権限の大きさと性質に鑑み、防衛相は原則として議員に限るべきか、であるが、私は、後者が適切であると考える。今後は、法制化まですべきかどうかは別にして、やはり、防衛相には議員をもって充てることを原則とすべきである。
今回の人事は、素人防衛大臣が続いた後の窮余の策としての例外的措置といえるが、これは、そもそも、防衛政策に全く疎いような人物を任命し続けたことが原因である。この点、猛省を促したい。それと同時に、防衛政策に明るい議員を出来るだけ多く育成するよう努めることが、我が国の安全保障政策の実体にとっても、シビリアン・コントロールの徹底という理屈の上からも肝要である、と強調したい。
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