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2012-05-25 00:00
古希の小沢がすがる「蜘蛛の糸」
杉浦 正章
政治評論家
「老い木は曲がらぬ」というが、5月24日に70歳の古希を迎えた民主党元代表・小沢一郎は近ごろますます強情になってきたようだ。チルドレンを前に首相・野田佳彦との会談について「議論は平行線になる」と、消費税反対の立場が変わらないことを強調した。「今後、お互い力を合わせて行動しなくてはならないことが起き得る」とも述べ、“決裂”の事態への結束を求めた。会談前から、得意の“脅し”に出ているのだ。これでは、野田もさじを投げて「小沢切り」となっても仕方がないところだが、なお「腹を割って、大局観に立って、理解をいただくような会談にしたい」と一縷(る)の望みを託している。しかし「年寄りの強情と昼過ぎの雨はたやすく止まらぬ」の例え通り、説得するのは容易ではあるまい。
古希という言葉は、唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)に「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」とあることに由来している。「酒代のつけは、私が普通行く所には、どこにでもついてくる。だが、七十年生きる人は古くから稀である」というのだ。今は長寿化社会で70歳などざらだが、昔は稀だった。だから、60歳は赤いちゃんちゃんこ、70歳は紫のちゃんちゃんこで、祝ったものだ。したがって、古希を越えれば周りは若い者ばかりだから、自ずと考え方も、行動も老熟してくる。孔子は「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」と説いている。70歳になったらのりを越えてはならないという。
ところが、小沢はのりを越えないどころか、越えっぱなしだ。加えて、自らの「業(ごう)」に沈んでいるように見える。その「業」とは、自分が繰り返してきた「力による政治」だ。多数を背景にして、力で押し切ってきた政治家人生だった。この政局でも、その方式を踏襲しようとしているが、今度ばかりは難しい。というのも、消費増税法案成立は解散・総選挙に直結せざるを得ない側面があり、そうなれば、小沢チルドレンが政界に再び顔を出す確率は10%だ。小沢の「業」は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でカンダタが釈迦の垂らした蜘蛛の糸にすがろうとする“哀れさ”までも感じさせる。小沢は、自ら推進してきた消費増税の信条を臆面もなく撤回して、既に誰の目にも破たんが明確になった「マニフェスト」という「蜘蛛の糸」にすがろうとしてるのだ。チルドレンも、この細い糸に我がちにすがりつく。しかし、重さに耐えきれず、糸が切れることを知らない。まさに小沢は孔子の言うのりを越えているのだ。
「寿(いのちなが)ければ、則ち辱(はじ)多し」と述べているのは荘子だ。長生きすれば恥を受けることが多いというのだ。1審裁判では無罪となったが、この無罪判決自体が、小沢の「辱」を物語る。事務所では「紙は裏白の紙を使え」と指示するほど細かい小沢が、4億円が動いた収支報告書を「見たこともない」と証言する。判決は「およそ信用出来ない」と断定しているのだ。各種世論調査でも、小沢が説明責任を果たしていないとする反応は、8割に達する。「年寄りの居る家は落ち度がない」というが、民主党にしてみれば、“年寄り”が「落ち度」を一人でばらまいているようなものであろう。まるで「70の3つ子」のように駄々をこねまくっている。小沢と誕生日が同じで、昨年は合同誕生会を開いた党最高顧問・渡部恒三は、24日で80歳。同日急性十二指腸潰瘍で入院したが、かつて「小沢君は足るを知らない。少しは党の迷惑も考えるべきだ」と述べていた。たしかに民主党にしてみれば「年寄りと仏壇は置き場所がない」というていたらくである。25日の朝日川柳に「一兵卒にお話ししたいと師団長」とあったが、古希の一兵卒・小沢は、55歳の誕生日を迎えた師団長・野田との会談を前に、早くも“決裂”とばかりに勇み立っている。「もう少し枯れよ」と小沢に言っても無駄か。それではもっと強く「年寄りと釘の頭は引っ込むがよし」となる。
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