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2012-05-22 00:00
原発“容認”にみる「橋下政治」破たんの兆し
杉浦 正章
政治評論家
大阪市長・橋下徹が、まるで加藤茶の「ちょっとだけよ」とばかりに大飯原発再稼働問題のお茶を濁そうとしている。 ハナ肇ではないが「アッと驚く為五郎」だ。口を極めて再稼働反対を唱えているはずが、「旗色悪し」とみたか、主張を夏季限定の「時限稼働」に転じた。官房長官・藤村修は5月21日これを全面拒否。スピッツのように吠えまくる割りには、橋下はケンカの仕方を知らない。原発再稼働問題は「イエスか、ノーか」の勝負だ。時限的にせよ再稼働を容認したら、負けなのだ。橋下流ポピュリズムも、崩壊の兆しが見え始めた。政府が決めた再稼働方針について橋下は、当初「絶対に許してはいけない。次の選挙で民主党政権は代わってもらう」と威勢のよい倒閣宣言を発した。ところが、たんかを切ったまではよかったが、関電の15%以上の節電の意味するところがようやく分かったとみえて、方針を「絶対反対」から「容認」路線に転じた。
橋下は、19日の関西広域連合の会議で、大飯原発について「原発がどうしても必要だという場合にも、動かし方はいろいろある。安全基準ができるまで、1~3カ月の臨時運転という方法もあるのでは」と提案したのだ。それもそうだろう、中小企業は生きるか死ぬかの問題だ。人工呼吸器が止まって死人が出たら、自分の責任になってしまうのだ。「しめた」と思ったのは政府だろう。明らかに再稼働容認に転じたととれる発言だからだ。かねてから「命の問題に関わる」と橋下を批判してきた藤村は、「再稼働した原子炉を直ちに止めれば、燃料コストの増加による電気料金引き上げは避けられない。電力需給の厳しさだけを踏まえた臨時的稼働を念頭に置いているわけではない」と全面否定した。この発言は、首相・野田佳彦自身が17日に「判断の時期はそろそろ近い」と再稼働を明言したのと合わせて考えれば、政府の再稼働に向けての決断は動かないであろうことを物語る。福井県の同意が得られれば、直ちに関係閣僚会合を開き、「再稼働」の最終判断をする考えだ。
橋下は時限稼働について「少しでも食い止めるために、こういう考え方があるのではないか、ということを論理的に説明しただけで、容認はしていない」と述べたが、「論理的に」とは聞いてあきれる。むしろ「絶対反対」から「容認」に転じた「論理性」の方が問題ではないか。なぜなら原発再稼働問題で「ちょとだけよ」はあり得ないからだ。そもそも一時的に動かすという発想は、橋下が否定してきた「政治家が再稼働を判断すべきでない」という主張と矛盾する。まさに足して二で割る“永田町”流の取引ではないか。原発は軽自動車ではない。止めたり、動かしたりできるものではない。いったん動かしたら、次の点検作業までは動かし続けるのだ。要するに橋下は、原子力技術も政治の駆け引きも知らないのだ。橋下の発想には、エネルギー問題がすぐれて国家戦略に属するものであるという感覚がない。ひたすら、選挙で勝つにはどうすべきかという低次元の発想しかない。物事を善悪の二元論に分けて、自らを大衆の側につくスーパーマンと位置づける。かつて「自民党は敵だ」と決めつけて、敵を作って自らの支持率の糧とした小泉純一郎流のポピュリズムの真似であろう。正義の味方の役割を演じてみせる劇場型の政治スタイルだ。
しかし、原発再稼働をしなければ、仙谷由人が「集団自殺」と形容したとおりに、支持層とみなす大衆が被る不利益は計り知れない。停電や使用制限となれば、大衆の非難は市長に向けられる。二元論のポピュリズムが原発に関しては効かないのだ。ここに橋下流ポピュリズムの破たんの芽がみられる。連合会長の古賀伸明は、「威勢のいい主張を掲げ、二者択一的な政治を行おうとする人もいる。しかし、敵を作って民意をあおる政治手法は、決して長続きしない」と批判したが、確かに長続きしないのだ。こうしたポピュリズムは危険な側面を併せ持っている。政党のポピュリズムの象徴である民主党マニフェストの破たんがそれを如実に物語る。国民はポピュリズムの「風」にあおられて、真贋を見抜けず、3年間の政治空白を作ってしまったのだ。野田が国民に詫びるとしたら、物事を「決められない政治」から「決められる政治」へと転換して、政党政治への信頼を回復しなければならない。それが原発再稼働であり、消費増税法案の成立なのだ。安易なポピュリズムの跋扈(ばっこ)を戒める道はこれしかない。
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