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2012-03-03 00:00
グローバル・フォーラム「世界との対話」に出席して
池尾 愛子
早稲田大学教授
3月2日に、グローバル・フォーラム、復旦大学(中国)、南洋理工大学(シンガポール)、日本国際フォーラムの共催により、「世界との対話:新興国の台頭とグローバル・ガバナンスの将来」が都内で開催された。対話は2つのセッションに分かれ、第1セッション「スマート・パワー時代におけるグローバル・ガバナンス」の報告者は、神谷万丈(防衛大学校)、中西寛(京都大学)、ジョン・カートン(トロント大学)、宮岡勲(慶應義塾大学)、石川卓(防衛大学校)であった。参加予定だったトーマス・ヘイル氏(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)は、急な事情により来日が叶わなかったが、他の報告者が氏の不在をカバーしたといえる。第1セッションの議論は、先進国によるこれまでの議論を振り返った上で、将来について議論を用意するという啓蒙的な側面があったと感じられた。私にとっては、国連や国連安全保障理事会、NATO(北大西洋条約機構)、G7/8、G20という枠組みを再確認するカートン氏の議論がわかりやすかった。G20が閣僚レベルの会合としては、東アジア通貨危機への対処ということで(時機としては遅いが)1999年に始まっていたことが興味をひいた。
主題のグローバル・ガバナンス(Global Governance)の概念自体が捉えにくいので、セッションの合間にも参加者に説明をしていただいた。そのおかげで、1992年頃にこの概念が最初に提示された時には、欧州の伝統的思想に基礎を置くような説明になっていたことが分かってきたものの、余りに専門的になるので詳細は省くことにする。経済思想に関連しそうなものも参照されていたとはいえ、少なくとも日本では、今も昔も経済研究に携わる人々の多くは、欧州思想というよりも、それを越えた経済分析や経済科学、そして個別の経済学者が提示した学説やアイディアに関心を持ってきたといえるので、グローバル・ガバナンスの初期の議論に違和感を多少もつことになった。加えて、それらの欧州思想からもう少し遡れば、ラテン語で表現される学問世界が待ち構えていることも、私の違和感につながっている。
「世界との対話」の第2セッション「新興国からみたグローバル・ガバナンス」の報告者は、川島真(東京大学)、潘忠岐(PAN Zhongqi、復旦大学)、大庭三枝(東京理科大学)、タン・シーセン(TAN See Seng、南洋理工大学)、細谷雄一(慶應義塾大学)であった。時間が制約されていたものの、カバー領域が広く、特にアセアン(東南アジア諸国連合)加盟国の多様性とダイナミクスが生き生きと伝わってきた。そして、報告要旨通りの話もあれば、事前提出の要旨に沿わない話もあったので、記録集が出来てから、要旨と記録の両方を照らし合わせて読んでいただきたい。ただ、レスポンスの場面で、中国の潘氏が、カナダのカートン氏の報告に共感を示したのが、印象的であった。また本対話では、アメリカ人スピーカーがいなかったことも興味深い。
3月2日の「世界との対話」は、同じグローバル・フォーラム主催の2月24日の「日米中対話」と補完しあう意味もあると思われ、「日米中対話」では、中国の対外援助のあり方について厳しいコメントも出たので、中国のDAC研究グループ(2009年開始)の見解を今少し紹介しておきたい。DACとは、OECD(経済協力開発機構、本部パリ)の開発援助委員会(Development Assistance Committee)をさす。昨2011年12月2日に都内のあるシンクタンクで公開フォーラム「中国の対外援助と日中協力の可能性」が開催され、中国側から李小雲(LI Xiaoyun)農業大学教授、周弘(ZHOU Hong)社会科学院欧州研究所所長達が報告者として参加した。彼らによれば、以前に対外援助で『国営モデル』を輸出・育成しようとして失敗した経験などは、既に中国語で公刊されているとのことで、中国が対外援助で試行錯誤をしている様子が伝わってきた。昨年の公開フォーラムでは、援助に対する価値観はさておいても、援助して建設した道路や建物について、維持・管理(メンテナンス)への配慮、援助先での評価・レビューなどが必要であるとの認識が共有されつつあったように思うのである。
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