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2012-02-29 00:00
(連載)アダム・スミスが今の中国をみたら(2)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
ただし、中国政府はアダム・スミスの考え方の残りの部分を全く見落としているようにも思います。経済学者として後世に伝えられるアダム・スミスは、グラスゴー大学で倫理学教授、道徳哲学教授などを歴任しました。彼にとって経済は一つの領域に過ぎず、人間社会を貫徹する正義や道徳、規範といったものの延長線上にあるべきものだったといえます。そんなアダム・スミスは著書『道徳感情論』のなかで、人間の根底にあるものが利己心だと捉える一方、人間の「共感」あるいは「同感」(sympathy)の機能の重要性を強調しています。人間は相手と想像で立場を入れ替え、その喜びや苦痛といった感情を一時的に共有することができる。しかし、その感情があまりに激烈だと、共感はむしろ難しくなる。だから、個々人は感情をある程度抑制し、相手が「ついてこれる」範囲に抑えることで、共感を得やすくなる、というのです。
アダム・スミスによると、この「共感」を可能にするものが、人間のなかにある「公平な観察者」という視点です。つまり、人間は自分のなかに、「他人からみた自分」の視点をもつことができる、というのです。いわば客観的に自分を省みるこの視点は、人間が自然に持ち合わせているものですが、他人との関わり、社会生活のなかでさらに育成されます。他人からみた自分を想像することで、人間は感情や欲求の暴発を抑えることができます。これにより、人間は他者からの承認を得て、拒絶を回避することができます。「公平な観察者」を得ることは、別に利他的になることを意味しません。それは他者からの承認を得るためのものですから、あくまで人間の利己心のなせる業です。しかし、各人が「公平な観察者」を内在させ、他者からの「共感」を得られるように行動することで、社会全体の安定と調和がもたらされるとするならば、これもやはり「利己心が公益に転化する」というスミスの主張の特徴を表しています。
翻って、中国政府に目を転じると、少なくともこれまでは、他国から見た自国をどこまで意識してきたか、怪しいところがあります。もともと、歴史上巨大な帝国で、高度な文明を築いた中国は、比較的閉じられた世界でした。さらに、文化大革命以来、国際社会と疎遠で、経済を通じた交流が盛んになってから間がありません。したがって、他者との関わり、つまり「社会経験」が不足していて、外部の視点から自らを振り返るということが苦手なのでしょう。
しかし、あまりにもあからさまな欲求追求が相手から「ついていけない」と思われたとき、「共感」を得ることは不可能です。そのなかで「中国が理解されていない」と強弁すれば、それは「理解していない相手が悪い」ということにもなりかねません。それでは、ますます「共感」は得にくくなります。今後、中国が相手からの「共感」を得られるように行動パターンを修正するか否かは、国際社会全体が安定するか否かにとってだけでなく、中国が経済力や軍事力だけに頼る大国から脱皮するか否かにとっても、分かれ道になるといえるでしょう。(おわり)
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