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2012-01-23 00:00
パラレル・ヒストリー研究は既に始まっている
池尾 愛子
早稲田大学教授
パラレル・ヒストリー研究は既に始まっている。英文論集『近世日本の経済思想』(Economic Thought in Early Modern Japan, Brill)が、ベティーナ・グラムリッヒ・岡とグレゴリー・スミッツの編集で、ドイツ、アメリカ、チェコ、日本の日本研究者の寄稿により、2010年に刊行されている。彼らは2008年に独チュービンゲン大学で、2009年に米コロンビア大学で、国際会議を開催して、西洋思想の影響が及ぶ以前の江戸時代及びそれ以前からの経済思想の展開について、概ね平易な英語(20世紀に定着した経済英語)で表現する論文集を刊行した。日本では19世紀になって西洋思想の解釈(翻訳)、受容が始まるが、近世やそれ以前の社会においても、貨幣、市場、信用・金融(シリーズテーマ)が存在し、政治改革(経済政策や債務救済を含む)が行われていた。中世に注目したのはイーサン・セーガルで、近世になって「貨幣経済」現象が「大量」発生し、知識人たちが注目して、荻生徂徠、草間直方、太宰春台の著作が登場したわけである。
「江戸時代の『自由』とは、淀みない状態を指し、『自由』と『統制』が江戸時代の社会的基礎をなしていた」、「日本で受容された儒学は『日本化された儒学』(Japanized Confucianism)であった」とする川口浩の見解を受け入れて、他の寄稿者たちは「貿易制限と身分社会という統制と、その枠内での自由」という微妙なバランスを意識して議論を展開した。合法的貿易は極端に制限されていたものの、沿岸部では密貿易が行われていたことも注目された。石田梅岩、山鹿素行、西川如見達の商業活動や道徳に関する議論、外来の仏教と儒学の解釈過程(特に17世紀以降の日本的受容過程)、江戸時代の職業観(職分論)も紹介された。グレゴリー・スミッツは琉球王国の儒学者・蔡温を取り上げて、『自由と統制のバランス』を取ろうとした事例であるとみなし、儒学の伝統をさらに検討する手掛かりを提供する。
各章では、『国益』思想(Kokueki ideology、藩益を含む)が、「国を利する、国のためになることを考慮する」社会共通観念として注目された。落合功によれば、江戸時代初期、砂糖は奢侈財で、国内ではほとんど生産されず、輸入に頼っていた。砂糖の国産化シフトは、日本からの金銀銅(主要輸出品)の輸出を削減したので、国内での改鋳防止につながり、『国益』が擁護されたのであった。ベティーナ・グラムリッヒ・岡は、江戸城内での経済政策決定過程を、幕府、役人、政治的助言者の「信頼ネットワーク」から探った。長崎出島でのオランダとの交易を例外とする海禁の中、対馬藩(朝鮮)、薩摩藩(琉球)、松前藩(蝦夷)が各藩の管轄により特定国と交易していた。経済改革と外国貿易に対して高い関心が寄せられ、北方開拓や国防にも関心がもたれていたことが、『国益』思想につながってゆく。マーク・J・ラヴィナは、シリーズテーマ『金融』を考察するため、中井竹山を検討し、村落の穀物倉『社倉』を儒学的銀行業(Confucian banking)としてとりあげた。『社倉』の実践は各地でばらつき、非常時金融、庶民金融だけではなく地域金融(今でいう公共事業融資)も見出された。
ヤン・シーコラは、長崎防衛を託されていた佐賀藩の幕末の革新的行動と、商人・文人の正司孝祺に着目した。正司は経国済民や道徳・正義の観念を持ち合わせ、『国益』モデルにかなう鍋島焼の確立と輸出などコンサルティングも行った。石井寿美世は、静岡県の伊東要蔵を変化する時代の起業家として紹介した。要蔵は、社会は原理(理)と同感(情)から成るとし、そして同感は、孝行心、兄弟愛、誠実の実践と、国全体の必要性の考慮に存する、と考えた。マーク・メッツラーとグレゴリー・スミッツの序章、メッツラーの終章(中世から現代までのマクロ経済史と経済政策・政策思想史の結合)が全体にまとまりを与えている。
貨幣・市場だけではなく、信用・金融(融通)という近現代的因子も近世日本に定着していたわけだが、廻船業や堂島を見れば、保険概念(請負)や先物取引も確認できたはずだ。本書ではカギとなる諸概念や思想家名には漢字仮名交じりの日本語が添えられ、誤解が生じないように配慮されている。非英語母語話者の日本研究者も、母語だけではなく、英語でも研究成果を公表する時代が到来している。本書は「1600―1900年の東アジアにおける貨幣、市場、金融」シリーズの第1巻と位置づけられており、思想史分野の必須参考文献となるであろう。今後の展開が楽しみであるとともに、ドイツ人たちの歴史研究力、研究構想力に脱帽する。日本語版も準備中である。(人名のカナ表記のみ修正した。2月25日)
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