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2011-12-15 00:00
(連載)政権与党「統一ロシア」はなぜ敗北したのか?(1)
飯島 一孝
ジャーナリスト
ロシアの下院選挙は、政権与党「統一ロシア」の得票率が過半数に達せず、事実上与党の敗北に終わった。党首のプーチン首相は、結果が判明してからも「議席は過半数を超えており、問題ない」と強弁しているが、前回同様、絶対多数の3分の2の議席獲得を狙っていただけに、敗北感を抱いているのは間違いない。なぜ、与党はこんなに敗けてしまったのか。その敗因を探ってみたい。
第一の敗因は、プーチン首相が来春の大統領選に出馬、当選することが確実となり、「プーチン流強権政治」がさらに6年(任期6年)、あるいは12年(連続2期まで可能)続くことへの拒否感が有権者の間で強まったからだろう。その証拠に、プーチン首相の支持率と与党「統一ロシア」の支持率が、次期大統領選の候補を決めた9月下旬の党大会後の世論調査で大幅に下がっている。とりわけ、一貫して70%台の高支持率を維持してきたプーチン氏が、60%台に下がったのが印象的だった。
プーチン氏は2000年から2期8年大統領を務め、その後、大学の後輩のメドベージェフ氏に大統領職を譲り、自らは首相として大統領を支える「双頭(タンデム=2人乗り自転車)体制」を敷いた。これは憲法で連続3期務めることが禁止されていたための便法だったが、国民からみると、メドベージェフ氏が大統領職に習熟し、プーチン氏に代わって独り立ちするまでのモラトリアムと考えられていた。
ところが、メドベージェフ大統領が1期4年務めたところで、2人が交代し、大統領と首相が入れ替わることになった。プーチン氏から見れば、メドベージェフ氏が大統領としての実績を残せず、これ以上国政を任せるわけにはいかないとして、入れ替わったのかもしれないが、国民からすれば「冗談じゃない。また元の政治体制にもどるのか」という思いがしたに違いない。そこで「プーチン、帰れ」コールが起きたということではないか。(つづく)
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