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2011-10-31 00:00
ソ連崩壊を予測できなかった日本のロシア・東欧専門家
飯島 一孝
ジャーナリスト
1991年のソ連崩壊から20年目の今年、これに関する様々な催しが行われているが、ロシア・東欧の研究者が一堂に会した研究会が10月22、23の両日、埼玉県川越市の東京国際大学で開かれた。ロシア・東欧学会が中心になり、初日は「ソ連崩壊20年とその後の世界」をテーマに2つのセッションが行われ、歴史的な体制変動をどう受け止めたか、体制転換後、何が変わったかなどについて討議された。なかでも注目されたのは、伊東孝之・早稲田大学教授が報告した「体制変動と地域研究:比較政治学徒として考える」だった。ひとことでいうと、ソ連崩壊前後に発表された論文や単行本をもとに、伊東教授を含め、当時研究者は社会主義を、そしてソ連をどうみていたか、を検証しようという、学者にとっては自己批判を伴う厳しい内容だった。
報告によると、当時日本の専門家の間で支配的だったのは「社会主義国には一定のユートピアを目指す、多分に統一的な、良かれ悪しかれ機能する社会体制が存在している」という考えで、これに「冷戦的二極構造を自明視する国際政治観が裏打ちしていた」と分析している。さらに専門家は多かれ少なかれ、社会主義に好意的で、社会主義体制が資本主義と同等で、実現可能なモデルとして存在するかのように考えていたと指摘している。
続けて報告では、研究の関心が社会体制に集中して政治体制にほとんど向かず、党の性格を把握し切れていなかったため、独ソ不可侵条約議定書の中身が明らかにされるなど、党の権威が低下する事態が相次いだのに、大半の専門家はソ連崩壊を信じなかった。とくに東欧諸国で社会主義政権が次々崩壊したのに、ソビエト・ブロックの崩壊や二極的な国際システムの変更を予測できなかった、と論じている。結論として報告は、ロシア東欧専門家も「時代の子」であり、後進国として先進国へのユートピア的な憧れがあったうえ、敗戦国として戦勝国へのポジティブなイメージがあったという制約を認めている。そのうえで、異なった知的背景を持つ人々との交流や現地のアクターとの交流を通じて今後克服していくよう提案している。
この報告に対し、同僚の学者から「現地で暮らしていながら国家や党の研究をしなかったことが悔やまれる」などの意見が出された。だが、内心忸怩たる思いがあるせいか、議論はあまり深まらなかった。とはいえ、当時の学者たちの認識の枠組みが明らかにされ、不十分な点がいくつか指摘されたことは大きな前進だ。日本の学者だけの問題ではないが、今後議論を深め、ロシア・東欧研究のさらなる発展につながることを期待したい。
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