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2011-10-27 00:00
(連載)「プーチン復帰で平和条約問題前進」という幻想(1)
袴田 茂樹
青山学院大学教授
「プーチンが大統領に復帰したら、平和条約交渉が前進する」という楽観論がわが国の一部に生まれているが、幻想である。メドベージェフが大統領になったとき、「リベラルな人物だから日本に対して柔軟な態度をとるだろう」との幻想を、日本の専門家や外務省幹部の一部も抱いた。しかし現実には、メドベージェフは北方領土問題ではプーチン以上に強硬な姿勢を示した。日本国内の今のプーチンへの期待は、その反動でもある。日本人は、性懲りもなくお人好しの幻想を抱き続けているようだ。中には、まるでロシア側の代弁者のように、意識的にこのような認識を広めている者もいる。
プーチンへの期待が幻想だという理由を説明しよう。ロシアは今、ソ連邦崩壊以後失われたアジア太平洋地域でのプレゼンスを回復することに全力を挙げている。したがって、経済的にはプーチンは来年9月のウラジオストクでのAPEC首脳会議を最も重視している。これは彼が新たな大統領として主役となる場でもある。
しかし、北方領土問題に関しては、「これはロシア領であり、それは大戦の結果である。国際法でも認められている」と、2005年に最初に述べたのはプーチン大統領だ。この発言は、それまでの日ソ、日露の平和条約交渉を、つまり自国の行動も、全否定する驚くべき言葉である。これまでロシアのトップでこのような暴言を述べた者はいない。最近は、このプーチンの強硬な考えがロシア側の基本的な姿勢になりつつある。私は、2005年に彼と討議したとき、「なぜロシアは平和条約問題でこのような強硬姿勢になったのか」と質した。それに対して彼は、「最初に強硬姿勢に転じたのは日本側ではないか」と私に反論した。小泉首相が述べた日本政府の一貫した4島返還要求を、彼は態度の変更だと批判したのである。その背後には次のような事情がある。
2000年9月の来日時にプーチン大統領は、日本側の強い要望で1956年の日ソ共同宣言を認めた。「平和条約締結後に、歯舞、色丹を引き渡す」という内容だ。しかし、ロシア側はこの宣言については、それ以前に「2島の引き渡しで、領土問題は最終決着」という解釈を明確に出していた。したがって彼は、日本側がロシア側の解釈をほぼ受け入れたと理解したのだ。実際に彼がそのように誤解するシグナルを、次に説明するように、当時わが国の一部の政治家や外交官主導で、日本側がロシア側に送っていたのは事実だった。これは、日本の国益を完全に裏切る行為で、今日に至るまで、その後の平和条約交渉を岩礁に乗り上げさせた根本の原因となっている。(つづく)
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