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2011-10-23 00:00
(連載)「アラブの春」「ロンドン暴動」「ウォール街占拠」の異同(1)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
ニューヨークのウォール街を起点とした、若者や失業者を中心とする抗議活動は、全米のみならず、ついに世界各国にも飛び火しました。貧困と格差に代表される社会・経済的な不満を募らせた人々が、ツイッターなどのソーシャルネットワークを駆使して抗議活動を展開する点に、昨年暮れからの「アラブの春」、そして今年夏の「ロンドン暴動」と同様の構図を見出すことは容易です。もちろん、その類似性は否定できません。ただし、「アラブの春」「ロンドン暴動」そして「ウォール街占拠」の三者は、微妙な違いを備えていることも看過できません。これら三者は、三様の深刻な問題を内包しているのです。
「アラブの春」は多かれ少なかれ権威主義的な政府に対する異議申し立てでした。そのような活動が法的に規制されているため、抗議活動は必然的に暴力的な側面を備えることになります。そして、原油価格の高騰にともなう中東・北アフリカへの資金流入がインフレを招き、国民の多数が石油ブームの恩恵から見放されていたことが、連鎖反応的に政変を拡大させた大きな背景でした。
ハンナ・アレントが「青年マルクスがフランス革命から学んだのは、貧困は第一級の政治的力になりうるということであった」と言ったように、貧困や格差といった社会問題が政治変動をもたらしたという点で、「アラブの春」は古典的なパターンをたどっています。しかし、フランス革命、ロシア革命、さらに開発途上国の独立といった社会問題に起因する政治変動は、必ずしも自由や民主主義につながらなかったことも、また確かです。その意味で「アラブの春」がもつ政治的な意味合いについての評価は、今後の観察に拠らなければなりません。
一方、「ロンドン暴動」と「ウォール街占拠」の場合は、少なくとも民主的な政府のもとで発生しただけに、その意味では「アラブの春」より深刻です。すなわち、選挙を通じた政権交代と、国民の意志を政治に反映させることが可能でも、自分たちの生活が一向によくならないという不満は、政治体制そのものに対する批判にもつながりかねません。とはいえ、「ロンドン暴動」と「ウォール街占拠」の間にも、違いが見られます。「ロンドン暴動」の場合は、「ウォール街占拠」と異なり、単に所得が少ないだけでなく、移民など文化的差異に基づいて、社会のなかで疎外感を味わってきた人間が、暴動の中心になりました。つまり、彼らは日常的に感じていた経済的な不満に加えて、社会的な鬱積をも晴らそうとしていたように思われるのです。(つづく)
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