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2011-10-13 00:00
(連載)アフリカのリーダーが示す光と影(3)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
とはいえ、グローバルな人権規範がそうであるように、ローカルな文化もまた、万能ではありません。重要なことは、両者の接合です。その場合、人権を制約する文化であっても、個人がそれを受容するかしないかの選択権が実質的に保障されるか、あるいはローカルな文化の文脈でグローバルな人権規範を「翻訳」し、「解釈」して受容するか、のいずれかが必要です。いずれも一朝一夕にできる作業ではありませんが、グローバルな人権規範とローカルな文化のいずれか一方だけを、無批判に受容することが難しい現代にあっては、アフリカに限らず、全ての社会において必要な事柄です。
もちろん、大統領が女性だからといって、それがスムーズに進むとは限りません。しかし、アフリカでは国家権力と社会権力が、それぞれの領分を守って権力を分有し、そのなかで社会的弱者の権利侵害が等閑視されてきました。その意味で、従来の秩序と異なる権力構造が生まれたことで、グローバルな人権規範とローカルな文化の接合が進み、アフリカ社会に大きな変化が生まれる可能性があることを、サーリーフ大統領のノーベル平和賞受賞は示していると言えるのです。
ただし、このような明るい話題がある一方、いわば従来型の「独裁者」は、いまだにアフリカで根強く権力を握っています。社会権力と「住み分け」を行うにせよ、あるいは社会権力を押さえ込むにせよ、その多くは国家権力を独占し、国民の権利を侵害しています。エジプトのムバラク体制やリビアのカダフィ体制は崩壊したものの、カメルーンのポール・ビヤ大統領や、チャドのイドリス・デビー大統領、さらにジンバブエのロバート・ムガベ大統領など、これまた列挙し始めると、かなりのリストになります。
彼らが行っているのは、文化相対主義で正当化することが困難な人権侵害です。とはいえ、社会権力に基づく人権侵害と同様、一概にそれを批判することが妥当とは限りません。繰り返しになりますが、グローバルな人権規範は、必ずしも万能ではないのです。その意味で、「なぜ『独裁者』と呼ばれる人間が存在できるか」を検討することは、「なぜ人権侵害に繋がる文化があるか」と同様、「普遍的」と目されるグローバルな視点からだけでなく、「特殊」であるローカルな視点からみることにも繋がります。(おわり)
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