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2011-09-01 00:00
「多文化主義の失敗」を認めない日本人の危機
酒井 信彦
日本ナショナリズム研究所長・元東京大学教授
7月22日にノルウェーのオスロで大規模テロ事件が起きてから、すでにひと月以上が経つ。この事件はその重大性のわりに、その後大きな話題になることもなく、このままでは間もなく忘れられてしまうのではないだろうか。アメリカの9.11テロ以後、テロの撲滅が世界の解決すべき最大の課題と言われるようになったのであるから、もっともっと注目されても良いはずなのに、世界の動きはそうなっていない。それは何故なのか。その理由は実に簡単で、その犯人がキリスト教徒であり、しかもその原因が、キリスト教対イスラム教の対立という、極めて根の深いものであるからに違いない。自分たちにとって都合の悪いことについては、世界のマスコミを支配している、欧米キリスト教徒たちは、なるべく騒がないようにするのである。
ところで、その後の情報から言って、この大事件の犯人は単独犯であったが、私が最も注目したいのは、犯人アンネシュ・ブレイビクの供述の中に、日本への言及があったことである。それは、日本や韓国が外国人の流入が少ない理想的国家であると述べたことである。そのためか、犯人は、当人への精神鑑定人として日本人を指名したい、と言っているらしい。しかし犯人の見解は、韓国については、ともかく我が日本に対しては、完全なる誤解であると言わなければならない。日本においては、外国人の流入はヨーロッパほどではないかもしれないが、国家意識・民族意識の面において、極めて劣化した国になってしまっているのである。それは例の、「単一民族国家」なるものを巡る、愚劣極まる議論を考えればすぐに分かる。我が国では、「日本は単一民族国家である」と主張すると、排外主義者として猛烈な非難を受けるのである。確か中曽根元首相もそうであったし、近年では中山国土交通大臣が就任会見で述べて、たちまちにして首が飛んだ。
しかし、単一民族国家とは「多民族国家」と比較して用いられる対概念であるから、多少でも外国人がいたら単一民族国家ではないと言うのは、全く非論理的で、不当な主張であると言わざるをえない。日本のような国を単一民族国家と言わなければ、一体どこの国が単一民族国家になるのか。しかし今の日本では、まるで暴力団の言いがかりのような、この異常極まる解釈が堂々と罷り通り、当然の常識は全く通用しないのである。つまり日本の現実は、実態的には単一民族国家であるにも拘わらず、精神のレベルにおいては、完全に多民族国家になってしまっているのである。この日本の悲惨な真実の姿を、ノルウェーのテロ犯人は全く知らない。日本をまともな国だと、甚だしく誤解しているのである。
この日本に比較すれば、ヨーロッパのほうが遥かにまともである。別に今回のテロ事件を擁護するつもりは全くないが、ヨーロッパにはいわゆる「極右政党」が結構存在して、それなりの支持を受けている。更に今回の事件に対する反応として注目されるのは、イギリス・ドイツ・フランスなど、ヨーロッパの主要国の首脳が揃って、単純にテロを批難するのではなく、「多文化主義の失敗」に言及したことである。多文化主義とは、我が国の流行の言葉で言えば「共生」主義と言えるだろう。それに対して、トップの人間から疑問が提示されたことは、限りなく重要である。一方、我が日本では、対外警戒心を完璧に喪失した日本人の精神状況を利用して、日本の実態的多民族化、すなわち「人口侵略」を画策しているのが、シナ人・朝鮮人であることは言うまでもない。特定の民族が特定国を標的としているのは、ヨーロッパの移民問題とは完全に次元が異なる、遥かに深刻な状況である。しかし日本人はそれに対して、全く鈍感のままである。日本はその滅亡に向かって、極めて順調に歩んでいると言わざるをえない。
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