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2011-07-12 00:00
(連載)南スーダン独立の意味と課題(1)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
2011年7月9日、南スーダンが独立しました。北部の政府に対して、1955~72年の第一次内戦、1983~2005年の第二次内戦を経て、南スーダン住民がようやく手に入れた独立です。周知のように、スーダンはもともと北部にアラブ系ムスリムが、南部にアフリカ系キリスト教徒が多く、文化的、人種的な亀裂が大きな国でした。内戦はほぼこのラインに沿って行われ、イスラーム法を強制しようとしたりした北部に対する南部の抵抗、という構図が定着していました。
この独立に関しては、既に報じられているように、石油権益をめぐる対立が表面化しています。今年5月、南北に帰属が決まっていない境界線上のアビエイに、北のバシール政権が部隊を進駐させたことは、スーダンの石油権益をめぐる南北の大きな課題を浮き彫りにしました。さらに、南スーダンの独立と石油に関連して、よく取り上げられるのが米中の角逐です。独立記念式典で、国家単位で祝辞を述べる機会が与えられたのは、アメリカと中国だけでした。これは、アフリカをめぐる「新たな争奪戦(New Scramble)」の縮図でもあります。これら石油に関連する課題・問題は、日本でもよく取り上げられるのですが、南スーダンの独立がもつ意味について、あと3つの潜在的なテーマをあげておくことができます。
第1に、前戦闘員(ex-combatant)の処遇です。1990年代から2000年代にかけて、各地で内戦の嵐が吹き荒れたアフリカでは、戦闘終結後も武器を手放さない若年層が急増しました。1990年代のシエラレオネでは、RUF(革命統一戦線)の若年層が、上層部の決定に反してダイヤモンド鉱山を占拠し、違法輸出を続けました。彼らの多くは内戦以前、失業者でした。RUFの若年層にとって、「失業」を意味する内戦の終結は、受け入れられないものだったのです。
戦うことしか知らず、他人を見れば「敵」と思ってしまう若年層を、生産的な社会経済活動に再統合できるかは、その国家・社会の安定性に関わる問題です。その意味で、南スーダンの石油は確かに貴重な外貨獲得源ですが、資本集約型の石油産業では雇用に限界があります。農業をはじめ、前戦闘員を雇用できる環境を整備しなければ、「平和になったら生活できなくなった」という不満を増幅させることにもなりかねません。もちろん、そのために教育の拡充が不可欠なことは、いうまでもありません。(つづく)
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