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2011-06-08 00:00
デジタル時代の佐賀偉人伝と唐津育ちの経済学者
池尾 愛子
早稲田大学教授
3月11日以来、東日本の地震・津波災害、原発事故は、重要ニュースに位置づけられたままである。海外メディアもフクシマ原発に注視する状況が続いている。3月11日に年次大会を東京で開催中であった学会は、参加者の帰路を案じて、大会をすぐに中止したと聞いた。年次大会の開催時期を延期したり、開催場所を変更したりした学会・研究会もある。5月上旬に東京で開催されたある学会年次大会では、海外からの参加者の来日取りやめにより中止されたセッションがあったほかは、おおよそ予定通りのプログラムで実施されたようだ。6月上旬には「薄暗い」東京を脱出して、佐賀に出張する機会があった。
その準備のためにと、新しい電子リーダー(iPad2)を入手して、2010年末から刊行され始めた佐賀偉人伝の既刊3冊を、電子書籍版で購入・ダウンロードした。杉谷昭著『鍋島直正』、島嘉高著『大隈重信』、松本誠一著『岡田三郎助』をさっそく一読して驚いた。書籍自体が電子版用に編集、製作されていて、それらは誠に素晴らしい出来栄えなのである。つまり、単に紙版を電子化したのではないのである。著者の一人や事情を知る人に話をうかがうと、どうも編集協力者が大活躍したようだ。佐賀城本丸歴史館や県立博物館所蔵の資料や絵画作品がカラー画像で収録され、本文も電子リーダー上で読みやすいように工夫して編集されている。電子書籍はこのように作るものだという、よき手本になるのではないだろうか。幕末の佐賀藩で活躍した人物たち、明治期に佐賀藩が送りだした人物たちが、色鮮やかに蘇るかのようだ。「かれらは未来を信じた、そして切りひらいた」というキャッチフレーズからも元気を得ることができ、これも今は特別に心地よく響く。
書籍の電子化は新しい作品を生み出すだけではない。アクセスが困難だった古い書籍を蘇らせることもできる。明治・大正期の書籍のうち、著作権切れが確認されたものが、国立国会図書館の近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)に掲載され始めている。2006年4月に公開された文献の中に、唐津で育った経済学者 天野為之(1859-1938)の著書・講述書が含まれている。天野の著書を読むことによって経済学の勉強を始めた石橋湛山の言葉を借りるならば、天野は日本で最初の「自己の経済学体系をもつ学者」ということになる。天野の経済学体系の3本柱の一つである『経済原論』(1886)は版を重ねて3万部以上売れたとされる。彼の生誕百周年を記念して1961年に初版の複製が行われたものの、市販はされなかったようである。他の柱である『商政標準』(1886)は後の歴史家に言及されることがあっても、『経済学研究法』(1890)は忘却されていたかもしれない。『経済学研究法』は面白いことに、デジタル画質が良ければ、コンピュータ画面上でも読みやすい組み方であったといえるだろう。
天野は1923年9月1日の関東大震災で被災した。全焼した彼の自宅は前年4月に落成したばかりであった。彼は10日ほど勤務先に起臥した後、知合い宅、借家に移っていく。彼の状況を鑑みれば、明治・大正期の図書・資料の多くも、この時の火災により焼失したことであろう。日本での経済学の歴史的展開について誤解が広がることを防ぐために、天野研究に着手したのであるが、幕末・明治期についての研究が種々の理由のため予想されるより進んでいなかったことがわかってきた。西洋古典の研究や著作権保護、一部のインテーネット上で公開が進んできたのとは極めて対照的である。ついに訪れた電子化の恩恵により、日本でも同時期についての研究が進展し、研究成果が共有されるようになることを期待する次第である。
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