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2011-05-12 00:00
(連載)ビン=ラーディンの死は、終結か、始まりか(2)
六辻 彰二
横浜市立大学講師
その意味では、迂遠であっても、やはり貧困と格差という「テロの温床」を少しずつでも改善していくことが不可欠です。特に「格差」の方が問題です。1985年の価値で1日1ドル未満の生活水準を強いられる人々を「絶対的貧困層」と呼びます。欧米の開発エコノミスト、特にマネタリストのほとんどは、「絶対的貧困層が減っている。これは経済成長の成果だ」と主張して、経済成長を優先させることの意義を強調します。
しかし、それは経済成長による物価上昇を度外視する意見です。つまり「物価が上がることで、低所得層の受け取る額面が増えている」ということです。しかし、一方で以前にも触れましたが、経済成長が堅調な国ほど、所得上昇を上回るペースでインフレが進んでいます。言い換えれば「手にするお金の額面が増えても、実質的な生活水準は、横ばいか、低下する一方だ」ということです。実際、以前は「絶対的貧困層」といえば「1日1ドル未満」という基準が当たり前でした。それが最近では、世界銀行やUNDPなどいくつかの国際機関で、「1日1.25ドル」や「1日2ドル」という基準が設けられています。その変更について、明確な説明はほとんどありません。
開発途上国の成長を優先させることは、先進国にとって身を切る必要のない話です。もともと貧しかった国が豊かになるということで、相対的には自分たちの優位を脅かすものの、少なくとも自分たちの資産を分配するわけではないからです。しかし、開発途上国の成長を促すことは、確かに国レベルでは豊かな新興国を多く生んできましたが、個人レベルではその格差は拡大する一方です。つまり、「テロの温床」はなくなっていないのです。
武力を用いた掃討作戦と貧困・格差の解消は、「テロとの戦い」の両輪であったはずです。ビン=ラーディンの死亡によって後者をおざなりにするようなことがあっては、第2、第3のビン=ラーディンが遅かれ早かれ出てくることは、必然です。そして、これを回避するためには、「トービン税構想」や「国際協力税構想」にあるように、先進国自身がわが身を切ることが早晩避けられなくなるといえるのです。(おわり)
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