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2011-01-17 00:00
(連載)政変と混乱で幕を開けた2011年の中東情勢(1)
溝渕 正季
日本国際フォーラム研究員補
中東地域にとっての2011年は、空前の地殻変動の年となるのだろうか―――そう予感させるような出来事が、年明け以降、中東で相次いでいる。そのさきがけとなったのが、1月5日付で本欄に寄稿した拙稿「『アルカイダ報道』の背景にあるもの」でも触れた、エジプトにおけるコプト教会爆破事件であった。事件の真相は未だに明らかとはなっていないが、エジプト政府は一貫して「外国人犯行説」、すなわちイラクを拠点とするアルカイダ「系」組織「イラク・イスラーム国」による犯行だ、とする姿勢を崩していない。だが、先の拙稿でも指摘したように、エジプト国内にこうした暴力事件を引き起こすような政治的・社会的土壌が存在していた点は、紛れも無い事実である。今回の事件は、権威主義的で腐敗にまみれた政府当局や一向に回復の兆しを見せない経済状況などに対する、エジプト国内に鬱積する国民の根深いフラストレーションの表出と見るのが正確であろう。
程なくして、同じく北アフリカに位置する国家チュニジアにおいても、こうした国民全体に鬱積する根深いフラストレーションが噴出した。市民による大規模デモによって、1987年より20年以上にわたって権力の座にあったベン・アリー大統領が国外亡命に追い込まれたのだ。本年初めよりチュニジアでは物価高、失業、腐敗などに対する抗議デモが発生し始め、治安部隊との衝突で市民に20人ほどの死者が出るなど、その規模を徐々に拡大しつつあった。そしてついには今月14日、首都チュニスでベン・アリー大統領の辞任を求める数千人規模のデモが発生し、治安機関と秘密警察を駆使することで維持されてきた強権体制は、あっけなく崩壊したのである。
ルーマニアのチャウシェスクやイラクのフセインもそうであったように、「恐怖という仮面」を剥ぎ取られた独裁者は、所詮「裸の王様」であり、その末路は往々にして惨めで、あっけないものだ。同様のことが他の中東諸国でも起こる、とは現時点では考え難いが、非民主的で腐敗にまみれた独裁政権、苦境の続く経済状況、続く人権侵害など、チュニジアと似たような状況は、中東のいたるところに蔓延している。中東の独裁者たちは、こうした大統領追放劇を目の当たりにして、少なからず肝を冷やしたことだろう。だが、市民による広範な抗議運動が独裁政権を打倒した例は、実はチュニジアが初めてではない。2005年には、地中海東岸の小国レバノンにおいても、「杉の木革命」と呼ばれた大規模な反シリア・デモが発生し、およそ30年にもわたってレバノンを「軍事占領」してきた隣国シリアが、同国からの撤退に追い込まれた。
米国を始めとする国際社会は、これを「中東民主化の第1歩」として称賛し、さらにはシリアの権威主義政権の崩壊さえも、大胆に予想していたことは、記憶に新しい。だが、そのレバノンにおいて、今月12日、内閣が瓦解した。もっとも、こうした内閣の瓦解と政治的混乱は、2005年にシリアが撤退して以降のレバノンで幾度も繰り返されてきたことである。相次ぐ反シリア派議員の暗殺、街頭政治の拡大、遅々として進まない政治過程、先の見えない政治麻痺、暴力的街頭デモの頻発―――こうした事態に直面し、多くの人々は、1975年からおよそ15年もの長きにわたって続いた凄惨な内戦を想起させられた。2008年後半以降は政治情勢が比較的安定しており、経済的にも急成長を遂げていただけに、今回の内閣崩壊は、レバノンに大きな影を落とすことだろう。(つづく)
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