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2006-05-18 00:00
歴史の文脈を外れて「ソフトパワー」はない
金山洋子
大学生
私は在日コリアンの1人であるが、5月1日付けの山岸英明氏の投稿、つまり「これまでは戦時中の反省に立って文化交流は消極的であった。しかし、今後はソフトパワーが重要である」とのご意見について、この論理には重要な部分が抜け落ちていると思われるので、一言したい。すなわち、過去の歴史的反省を全く行わずして、「しかし」という論理的飛躍をしていることだ。
この「しかし」の前後には多くの文脈があるのではないか。もちろん、私は文化交流の重要性を否定するつもりは毛頭ないが、歴史的経緯を欠いたままただ単に「しかし」と言えば、「これからは文化である」と主張することが許されるものなのだろうか。歴史的経緯を欠いた文化交流というものはあり得ない。文化交流こそは、各国固有の歴史、文化、生活を踏まえたものであり、そこからかえって摩擦がうまれることもあり得る。それを承知の上で、それをどう乗り越えてゆくかが問われている。その認識抜きに「ソフトパワー」論はあり得ない。
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