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2010-11-12 00:00
「災いの元」の仙石は不信任決議案に相当
杉浦 正章
政治評論家
「口は災いの元」とするなら、政権にとってはさしずめ「仙谷は災いの元」だろう。毎日煌々(こうこう)と当たるスポットライトで官房長官・仙谷由人を観察すればするほど、この人物は国のスポークスマンとして“不適格”ではないか、という思いに到達する。一見語彙(ごい)が豊富に見えるが、実は少ないのだ。判断が独善的で、社会的風潮を掌握する能力に欠けている。すぐに法律論に逃げ込む「法匪」的浅薄さと、相手の気持ちを推し量らぬ恫喝発言。ついに、侮辱された自民党の丸山和也が、告訴にまで発展させようとしている。尖閣ビデオ流失事件では、自民党が不信任決議または問責決議で辞任を迫ろうとしている。
人間年を取ると、柔軟性が利かなくなって、発言が短絡してしまう者が多い。それが的確なら問題は生じないが、仙谷の場合ことごとくと言ってもよいほどピントのズレを感じさせる。国際的な失笑をかった「柳腰外交」。皇室の存在を、特定の政治思想と結びつけた「最もリベラルな方々の集団」発言。国会で認められている写真撮影を「盗撮」呼ばわりする独善性。自分は週刊誌を片手に質問しておきながら、新聞記事に基づく野党の質問を「最も拙劣な質問方法」と決めつける身勝手さ。追い詰められると「健忘症」と、言論の府にあるまじき狡猾な逃げ。
要するに、3流弁護士なのであろう。法廷で口から出任せでその場限りの論争に勝てばよい、という生き様が習い性となっているような気がする。そして「口故に身を失う」危険が出て来たのは、ビデオ流出事件で「政治職と執行職のトップでは、責任の在り方が違う」という発言だ。そもそも人事院に聞いても存在しない「政治職」「執行職」などという分別呼称を“創作”して、責任を海保長官・鈴木久泰だけに押しつけ、自らの身を守ろうという意図がありありと見える。民主党は野党時代に、官僚の不祥事が発生する度に担当大臣の辞任を要求してきたが、攻守が変われば信念も変わるのだろうか。自民党政調会長・石破茂が「現場に責任を負わせるのは、一番ひきょうなやり方だ。情報は出さず 『自分たちは知らない』という政府が、どこにあるのか」と批判するのはもっともだ。
さらに危険な発言は「国家公務員法の罰則は軽く抑止力が十分でない。秘密保全に関する法制の在り方を早急に検討する」発言だ。これは公務員の正当な内部告発を抑制するだけでなく、国民の知る権利やマスメディアの取材活動にまで影響しかねない発想だ。言論抑圧になり得る。仙谷は首相・菅直人をかばっているつもりかも知れないが、まさに逆効果である。ビデオを公開した保安官に対する国民の同情論にも全く耳を傾けない。社会的風潮を敏感につかむ能力に欠けているとしか思えない。公明党代表・山口那津男が「官房長官の職責が務まるのか、適格性の問題にもなりかねない」と疑問を呈している通りである。これだけ政権にダメージを与え続けるスポークスマンは、戦後存在しない。不信任決議案や問責決議案に相当すると思う。
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