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2010-10-24 00:00
中国の金融改革の行方
池尾 愛子
早稲田大学教授
去る10月13日(水)に早稲田大学国際会議場ホールにおいて、中国人エコノミスト成思危(Cheng Siwei)氏の「中国の金融改革の方向」と題する講演を聴く機会があった。成氏は、前中国全国人民代表大会常務委員会副委員長であり、太平洋経済協力中国全国委員会(CNCPEC)名誉議長である。講演はどちらかといえば、学生たちを激励するものであったといえそうだ。彼は2008年秋のアメリカでの金融危機の展開を簡潔に要約したうえで、中国での金融改革の方向として、金融機関の兼業の方向を示唆したように思われる。現在は分断されている銀行業と保険業のあいだで、とくに兼業を目指すためになすべきことが列挙され、さらに改革を進めて中国金融業の効率性を高めるためには人材が必要であるとされ、金融教育を受けた人たちが将来帰国して活躍することに大いに期待がかけられているようであった。
促されて質問もしたが、必ずしも噛み合った応答にはならなかった。後から、「兼業する金融機関のトップにあたる『董事長』つまり『最高経営責任者(CEO)』にはどういう人がなるのか」と尋ねるべきであったと反省した。「兼業する金融機関の『経営者』にはどういう人がなるのか」という質問の仕方になったため、日本語の『経営者』が中国語で『ファンド・マネジャー』の意味に通訳されたようで、「それは講演会会場にいる皆だ」という主旨の返答を受けたのだった。中国の経営問題を語るにあたっては専門用語の使い方に配慮するようにと、注意を受けていたことに気づいたときには、もう長く喋りすぎていた。また、成氏だけではなく、最近話した中国人研究者もそうだったのだが、信用デリバティブのCDSなどの役割が気にかかるようである。CDSは保険のような機能を果たすが、経済のファンダメンタルズが好調なときには、経済をますます好転させる傾向がある。
中国人研究者が話題にしたのは、最初のCDSが石油関連の取引で採用されたことであった。その発端については、G.テットの『愚者の黄金』(Fool's Gold、平尾光司・土方奈美訳、日本経済新聞社、2009)に詳しい。ある大手石油会社が石油漏れ事故の罰金を支払うために、長年の取引相手である米大手銀行JPモルガンに大きな融資を申し入れてきた。JPモルガンは、イギリスにある欧州復興開発銀行(EBRD)と契約を交わし、手数料を払い続ける一方で、もしその石油会社が返済不能になった場合には、EBRDからその残金を受取るという条件を整えた。これで銀行は石油会社の債権を保持したままで、新たな融資を提供し続けられることになった。この契約は、銀行にとって一種の保険機能を果たし、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)と名づけられた。中国で金融業に対する関心が一段と上昇している背景には、石油取引が現在の需給に依存するだけではなく、金融要因や将来の需給に対する懸念にも影響されていることがあるかもしれない。
私の観察に基づくことになるが、日中の学術交流の必要性が高まっている分野に、保険やファイナンス、会計の分野があるかもしれない。これらは実際の民間業務と分ちがたく結びついて、日本では『実学』と呼ばれてきた。実務家から大学教員に転進する人もいるくらいの分野であり、教育効果に期待するだけでは不十分であろう。コンピュータ・ネットワークの利用やその進展を含め様々な環境変化が起こって、制度も変化し、学問内容も大きく変化してきた分野である。実際の業務では、制度や取引参加者たちの経験が重要で、大きな金融問題やその処理が歴史として共有されていくように思われる。それに対して、マルクス経済学の伝統では、「擬制市場(fictitious market)」に関わる分野とみなされてきたようだ。一種の金融ヴェール観であろうか。研究の出発点での認識ギャップが大きいかもしれない。さらに、実学分野の研究者たちにとって研究対象は現実そのものであり、また自分たちが幾通りかの制度を決めている、あるいは自分たちが提示する数多くの数理モデルやコンピュータ・プログラムが実際に使用されている、という自負があるかもしれない。もし彼らの忍耐力が、5人の学者がいれば6つの政策提案が出てくると揶揄される経済学者などに比べて、大きくないかもしれないならば、粘り強い学術交流の可能性は、どのくらいあると予想しうるであろうか。
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