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2010-10-24 00:00
(連載)米中間選挙そして中東現代史(1)
石川 純一
フリージャーナリスト
11月2日は米中間選挙。鳴り物入りで登場したオバマ民主党政権の過去2年間の実績が問われるわけだが、米世論は既に民主党惨敗に大きく傾いている。20世紀は、大英帝国の凋落、中東原油の発見とともに始まった。中東の歩みは、まさにこの大英帝国が残した負の遺産を、いかに精算するかに費やされた。そして2001年9月11日の米同時多発テロ。21世紀は、このテロに象徴されるイスラム原理主義とともに秒針を刻み始めたのである。
オバマ政権は、この負の遺産をどう清算しようというのか。思えば、大英帝国の時代は簡単だった。英国のマクマホン在エジプト高等弁務官とメッカの太守フセインが1915年7月から翌16年3月にかけて交わした各5通の往復書簡。オスマン・トルコ帝国の後方撹乱のため、第1次世界大戦で英国側に立って、参戦する見返りとして、このフセインという当時のアラブ最大部族長の1人に、英国が戦後のアラブ独立を約束した書簡だ。映画「アラビアのロレンス」のストーリー背景である。
が、時代は植民地主義諸列強の秘密外交が華やかなりし頃だ。植民地再分割戦争の意味合いを色濃く持つ第1次世界大戦。英、仏、ロシアは1916年5月、第1次世界大戦後のオスマン・トルコ帝国領再分割に関する秘密協定を結ぶ。英外務省中東担当官で中東専門家のサイクスと仏の前ベイルート駐在大使ジョルジュ=ピコが素案を作成したことから、「サイクス・ピコ協定」と称される。1917年のロシア革命で、ロシアがオスマン・トルコ領再分割の戦列から脱落。レーニンのロシア革命政権が世界に暴露したことで、その存在が明らかになった。
これに輪を掛けて話を難しくしたのが、英のバルフォア外相の暗躍である。バルフォア外相は第1次世界大戦末期の1917年、英ロスチャイルド財閥の総帥であり、英シオニスト連盟会長でもあったロスチャイルド卿にあてた書簡の中で、「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立する」のに賛成した。これがいわゆる「バルフォア宣言」である。ロスチャイルド財閥からの対ドイツ帝国戦用の戦費調達が最大の狙いだった。(つづく)
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