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2010-08-10 00:00
秋葉広島市長の平和宣言に違和感を覚える
茂田 宏
元在イスラエル大使
8月6日は広島に原爆が投下された日であり、広島では式典が行われた。菅総理大臣、国連事務総長、ルース駐日米大使なども参列し、秋葉市長が平和宣言を行った。私は、この原爆の犠牲になった人々はそのことにより我々日本人を救ってくれた人々であると考えている。戦争終結の決定において、原爆の被害は、決定的ではないにせよ、大きな役割を果たした。また、私は広島や長崎の被爆者を中心とした人々が原爆被害を世界の人々に伝えていく努力をしてきたことに敬意をもっている。こういう非人道的な兵器が人間に対し2度と使われることがあってはならないという意識を、出来るだけ多くの人に持ってもらい、核兵器を使用不可能な兵器にする必要がある。しかし、同時に私は、秋葉広島市長の今年の平和宣言には、若干の点で違和感を覚えた。
第1に、秋葉市長は非核3原則の法制化を訴えた。非核3原則は核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」ということであるが、第3原則の「持ち込ませず」の個所については、問題がある。日米間に持ち込みについて「核密約」があったということが明らかになり、持ち込まれていた可能性があるとされている。今は、米国は戦略核搭載潜水艦以外の艦船に核兵器を搭載しておらず、核搭載艦船がわが国に寄港することはないという状況がある。そういうなかで「持ち込ませず」を法制化することに、どんな意味があるのかと思う。更に言うと、日本に核が使われそうな緊急事態が生じたときには、その抑止のために核持ち込みも必要になるかもしれない。
非核3原則について、ある人が、第3原則は「持ち込ませず」ではなく、「撃ち込ませず」にすべきだ、と言っていたが、広島、長崎の惨禍を繰り返さないためには、「撃ち込ませない」ことこそが重要である。北朝鮮のミサイルや核の脅威を考えると、これは単に理論上の話ではなく、実際そこにある危険である。「持ち込ませず」は、主として米国を対象とした措置であるが、日本を守るための米国の核抑止力を阻害するようなことは避けたほうが良い。なお、2003年の平和宣言は日本政府に対し「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする「新非核3原則」を国是とするように要求した。
第2に、秋葉市長は日本が核の傘から離脱するように訴えた。平和式典のあと、菅総理は核抑止力の重要性を認める発言をしたが、当然のことである。日本に3回目の核攻撃がなされないように、他の努力とともに、核の傘をより実効性のあるものにする必要がある。それが尊い犠牲を払った被爆者に応える道であろう。広島の平和公園には「あやまちはくりかえしません」と主語なしに書かれているが、2度と広島を再現させてはならない。核兵器が廃絶された場合には、核の傘は不要である。しかし未だ核兵器は現存しており、北朝鮮は「最強の武器」で日本を攻撃するなどの威嚇をしている。そういうなかで、核の傘からの離脱を訴える発言をするのは、無責任とのそしりを免れない。
核兵器廃絶ができれば、すばらしいことである。しかし、人類は核兵器を作りうるとの知識を得てしまった。これを再び忘却しえない中で、核兵器廃絶を実現することは、そう簡単ではない。オバマ大統領も自分の生きているうちには無理かもしれないと言っていることを想起する必要がある。何かを強く願望すれば、それが実現するというのは、魔術的思考である。
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