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2010-08-09 00:00
官の有権解釈の詭弁
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
いきなり固い話で恐縮だが、近代法治国家においては、有権解釈、つまり法律の執行にあたるお役所による法律解釈が、実質的に立法行為に陥ることを厳に戒めている。立法・司法・行政の三権分立を考えればこれは当たり前すぎる話といってよい。ところが、今回の公益法人制度改悪に関連して、余りに評判が悪い、というよりも、どうにも説明のつかない馬鹿げた条文を巡って、お役所が断然解釈立法に乗り出し、あろうことか、あるまいことか、民間有識者がこれの提灯を持つという現象が発生している。
「ある事業について、その事業に関わる収入が、その実施に要する適正な費用を超えない」と書かれてあれば、これは「収入が費用を超えてはいけない」ということだ、と読むのは当然であり、それが常識というものだろう。ところが、お役所は「そう読むのは誤解であって、知識もなく、間違った情報を肥大させた結果に過ぎない」という。それではこの文章はどう読むかというと、「収支を必ずゼロ以下にしなければならないわけではない」「仮にプラスになっても、様々な事業運営上の必要に充てるということなら、何の問題もない」のだそうだ。一体どこにそんなことが書いてありますか。
「この法律の条文は、現実離れしていて、いづれは改正しなくてはならない」とはっきりいったらどうだろう。それまでの間は「適正な費用というのを拡大解釈して、結果として黒字が出ないような運用を認めます。しかし、そんな無理は長く続けるべきではないから、早い機会に改正しましょう」というのが、あるべき姿ではないか。お役所がそれを言い出しにくければ、せめてお取り巻きの御用学者や業界団体関係者が、そういうコメントを出せばよい。
それを、何が何でも「官は正しい。官の無謬性は万古不易だ」といわんばかりに、牽強付会も極まれりという詭弁を用い、かつ(これが最も恐ろしいところだが)それに対して批判の声が全く出ないというのでは、この国の「新しい公共」なるものを、笛や太鼓で囃し立てても、所詮落ち着く先は見えたというべきだろう。世論なるもの、官にとって耳ざわりが良いうちは、聞き届けて使わす。そうでなかったり、そうでなくなったら、この限りではない、というのでは、ほとんど猿芝居だ。猿芝居でも良いから舞台に出たい、という面々に事欠かないから、余計ことは面倒になる。
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