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2010-07-29 00:00
レームダックに死刑執行させたのは演出だ
杉浦 正章
政治評論家
任期末の米大統領など、辞めることが分かっている政治家をレームダックと呼ぶ。レームダックは新たな政策など打ち出さず、もっぱら引継ぎに専念するのが、政治の常道だ。ところが、辞めるか、辞めさせられることが分かっている法相・千葉景子が、最高度の国家権力の行使である死刑を執行し、自ら立ち会い、公開を指示し、勉強会を立ち上げる。これが政治的パフォーマンスでなくてなんだろうか。そもそも死刑廃止論者は、法の執行者たる法相での入閣を受けるべきではない。この政権は、死刑まで演出に利用するのだろうか。
新聞は、恐らく法務省担当記者が書いたのであろう。トーンは、法務官僚の説得が奏効したうえでの死刑執行との判断が主流であり、法務官僚レベルとしては当然の成果と受け取っているのだろう。しかし、果たして、それだけで、政治的な意図はなかったと言えるのだろうか。本来なら、千葉は、ほおかむりしたままで退任して、死刑反対論者である自らの信念を貫いてもおかしくないはずだった。それを急きょ死刑執行に踏み切らせたのは、菅政権としての高度の政治判断があるのだ。85%の国民が死刑執行を容認し、臨時国会では法相問責決議が予想される事態に至っている。「このままではまずい」との判断が働いたのだ。
その意図が垣間見えるのは、段取りだ。千葉は参院議員の任期が切れる7月25日の直前の24日に死刑執行命令書に署名している。国会議員である間に署名して、野党から指摘されている「民間人の居座り法相」のそしりをかわそうとしたのであろう。ところが、問題は、幹事長・枝野幸男がこの事実をわざわざ記者団に明らかにしたことだ。枝野は、明らかに国会での追及対策のつもりであったのだろう。しかし、なぜ枝野が法務省の内部事情まで知っていたかである。事前の調整の存在を疑わせるに十分な話ではないか。「語るに落ちた」というか、「馬脚が現れた」としか、いいようがない。
死刑執行そのものは、法相として当然の責務であるし、法と正義の名の下で粛々と行えばよいことだ。しかし、冒頭述べたように、レームダックが信条をねじ曲げて行うべきことだろうか。辞める法相が勉強会を立ち上げても、「千葉人事」で懲りた菅は、後継の法相には「死刑を執行する政治家」を最優先して選任するだろう。千葉の狙う死刑廃止を研究する勉強会が宙に浮くことは目に見えている。千葉は、就任以来、歴代法相が否定してきた指揮権発動問題について「検察も行政の一つだから、それに対して法相が指揮権を持っていると認識している」と、これを認める異様な発言を繰り返してきた。このような不信の象徴の法相に、野党が参院で問責決議を提出することは、首肯できることだ。既に有権者は「千葉法務行政」に「ノー」の判断を下している。これ以上民意の承認を得られなかった法相に、死刑執行を始め法務行政を継続させてはなるまい。残余の任期と見られるのは2か月間とはいえ、何をするか分からない不気味さが漂う。それほど奇々怪々で異様な政治家だ。
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