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2010-07-24 00:00
(連載)スーダンPKOへの陸自ヘリ派遣断念の意味(2)
高峰 康修
岡崎研究所特別研究員
まず、陸自ヘリ部隊をUNMISに派遣すれば、国際社会で顔が見えにくくなっている内向きの日本人の存在感を取り戻すことができたはずである。もちろん、そういう漠然とした話だけではない。先に述べたように、スーダンの安定化は国際テロ対策に資する。これは、岡田外相が指摘しているように、日米関係の観点からも重要である。また、陸自ヘリ部隊の派遣は、日本がこれまで力を入れてきたアフリカ支援の幅を広げることになる。「最後の未開の大陸」とも呼ばれる資源の豊富なアフリカでの存在感を増すことは、当然国益に繋がる。とりわけ中国のアフリカに対する「札束外交」の攻勢に対抗するのに役立つことであろう。このように多くの効用が見込まれる陸自ヘリ部隊の派遣を断念したことは、いかにも勿体ない話である。
上述のようなメリットがある一方、自衛隊の海外派遣には、北沢防衛相の言うごとく「費用対効果」の観点も確かに必要である。普通の国の軍隊であれば、今回の件のような場合に「活動の困難さやコスト」が得られる国際政治上の効果を上回るということは、あるはずがないのだが、こと我が国の自衛隊に関しては、北沢防衛相の言い分にも理がある。ヘリによる輸送活動は、ロケット砲などによる攻撃に脆弱であり、地上からの支援が不可欠だが、現行の武器使用規定(ROE)では、武器使用は正当防衛や緊急避難に限られ、極めて不十分だからである。また、逆に、自衛隊は友軍を援護できない。万が一、友軍を見捨てる事態に陥ったならば、派遣したことが結果的にマイナスにもなりかねない。言うまでもなく死を賭して任務を遂行するのが軍隊の本質だが、非常識なROEで自ら手足を縛って、スーダンのような危険な地域に自衛隊員を送り込むということは、余りに酷である。
また、自衛隊の活動は、自己完結的な傾向が強く、他国の軍隊との協力関係が必ずしも円滑とは言えない面がある。したがって、兵站に関わる負担も過重なものとなりやすい。こんなことになるのも、「武力行使と一体化してはいけない」などというおかしな憲法解釈があるせいである。政府は既に2008年10月からUNMIS司令部に陸自隊員2名を派遣して、将来の部隊派遣を視野に入れた情報収集を行ってきた。これを陸自派遣実現に繋げることができなかったのは、政治の怠慢である。ところで、民主党は、これまで一貫して国連重視を打ち出してきた。国連による平和維持活動に関しては、自民党以上に積極的に、ROEを世界標準に近づけようと提案したこともある。例えば、野党時代には、新テロ対策特措法案の対案に、武器使用について「抵抗を抑止するためにやむを得ない場合」とする内容を盛り込んだこともある。
もちろん、我が国の安全保障政策の根幹に「国連中心主義」をもってくるのはとんでもない誤りだが、国際的な平和維持・構築活動の分野において、出来ること、やるべきことを、党派を超えて政治が決断していくことは必要不可欠なことである。スーダンへの陸自ヘリ部隊派遣断念を非難することは容易いし、相応の理由のあることだが、より根本的かつ生産的なことは、自衛隊が海外で活動しやすくなるように法の不備を改めることである。「ねじれ国会」は、こうした超党派で取り組むべき課題に着手する機会を与えてくれる可能性がある。これを逃すべきではない。スーダンへの陸自ヘリ部隊派遣の見送りは大きな損失だが、これを機会に、PKOにおけるROEの正常化や「武力一体化論」の放棄といった方向に進めば、派遣断念による損失を上回る成果を得られることになる。(おわり)
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